ニッポン-カワウソ
発行年・号
1962-04-04
文献名
ニッポン-カワウソ
(ON THE JAPANESE OTTER
Emmori Shimizu,Dogo Zoo. )
所 属
愛媛県立道後動物園
執筆者
清水栄盛
ページ
100〜103
本 文
ニッポン-カワウソ
愛媛県立道後動物園 清水栄盛
ON THE JAPANESE OTTER
Emmori Shimizu,Dogo Zoo.
カワウソについて、今日ほど、愛媛県において、一般から注目せられたことは、いまだかつてない。これは、全く,日本では絶滅にひんし、愛媛県南部の海岸地帯に限り、今日、わづかに、せい息することが明らかとなり、その保護について、種々と論議がなされたからである。
ニッポンカワウソLutra lutra vulniteleyi(Gray1867)
ニッポンカワウソと命名されたのは、1867年Gray氏によって、北海道産のカワウソに初めて名づけられたものであり、北海道産の哺乳動物で、本州、四国、九州にすむものは、津軽海地を距てただけで、亜種を異にするものが非常に多い。従って、北海道産のカワウソが、本県のカワウソと、同一亜種であるか、どうかは、今後の研究にまたねばならぬ。
しかし、カワウソは、いずれの種も、生活の型が似通っており、従って、体型、体色等相似ており、分類上、大変困難な動物である。
例えば、アフリカのAfrican clawless Oettr(Lutra capensis)や、ブラジル産のBrazilian Otter(Laura brasilitensis)、また北太平洋にすむSea Otter(L,enhydra)などのように、明らかな種としての特徴をもつものは別として、Eurasian Otter(L,lutra)のように、ヨーロッパからアジアにかけ、広く分布するものに、亜種として小分けすることは、なかなか困難なことで、インドにすむ、Lutra nairとL,lin:raの区別についてさえ、Constant charactersは発見できがたいと、Blanforcl氏は云っている程である。
世界中、もつとも分布の広い動物で、オーストラリヤ、マダガスカル、南極の島々にはせい息しないが、その他の国々には、どこでもすんでおり、コウモリに次いで分市の広い動物と云えよう。
しかし、全体的に、今なお盛りと、栄えつつある動物とは云えず、適応性を失い、次第に滅びつつある動物と見てよく、北米一帯にかけて沢山すんでいたL,canadensisも、今は大変減少し、部分的には保護される状態となっている。
日本にも、昔は相当すんでいたらしく、全国に、竜ケ渕とか、蛇ヶ池と云われ、恐れられた所がずい所にあり、そう云う所には、必ずカワウソがすんでいたに違いないのである。カワウソは、単独ではエサがとれず、群れて円をえがき、魚群を混乱におとし入れて、逃げまどうものをとる習性があり、群れの先頭が頭を出し、次ぎ次ぎが、胴、尾と現われようものなら、あたかも大蛇が泳ぎまわるように見られたものであらう。弘法大師の書かれた、続遍照発揮性霊集第八に、林鳥微禽育反哺志 泉州愚獣致魚誠と、鳥と併せ、説かれていることからしても、けっして、カワウソが珍らしい動物でなかったことがうかがえる。
興味あることは、Blanford氏が著書の中で、次のように、っている。
Otter apparently never hibernate, and in conscqucncc must be hard pressed to supply themselves with food during the winter in the colder portions of their habitat.
東西思い合せて、成る程と思われる。
昔、沢山すんでいたカワウソが、どうして今日、日本では姿を消そうとしているかについては、はつきりと、云いきることはできないが、先づ第一に、安住の地を失ったことが伝えるであらう。
カワウソは、タヌキやキツネなどのように、人里近くに、馴れてすめる動物ではなく、極端に人里を嫌い、人の姿の見えない渕や池を好み、かかる場所が、河川の開発や道路の建設、開拓、開墾などによって少くなり、安住の地を失っていったものであらう。このことは、カワウソが、自然の変化に適応していけなくなった、云わば日本では過去の動物と云うことができる。
第二番目に河川、池の魚族の減少。
ダムの建設や、護岸によって、淡水魚は、セメントのために直接害を受け、併せて魚群の遡上も減り、エサが得られにくくなった。
第三に、毛皮が優秀で濫獲されたこと。
その他、繁殖力の弱いことや、同一種族でありながら、同じグループでない場合は、死に到る闘争を演ずることも、自滅をまねいている原因と思われる。
昭和の初め頃までは、近畿地方の河川でも、少数ながら見られたようだが、今日、全く姿を見せず、もはや、絶滅したものではなからうかと云われていたが、昭和29年、愛媛県の肱川で1頭捕獲された。それは、頭同長686ミリ、体重7.125キロの見事な雌で、妊娠中であり、雄もせい息していたに違いないのであるが、以後、く、姿は見られず、もはや、肱川には1頭もせい息していないものと思われる。
昭和28年頃までは、松山近郊の重信川や、興居島などにもすんでいたらしいが、今日、全く噂さも聞かないことからして、もう松山近郊には、すんでいないだらう。
愛媛県南部の海岸地帯も含め、カワウソは、今日殖えつつあるとは、とうてい思えず、年々減りつつあるのが、実情だと思う。
本県にカワウソは、現在、幾頭位せい息するかということは、皆、知りたいことではあるが、これが、目撃名の頭数の合算や、排泄物の状態で推測することはできないのである。George G.Goodwin氏のL,Canadensisの例であるが、カワウソは、川や池を2~3週間に約32キロも回遊すると云っており、これは、山や谷の陸地を越しての回遊であり、本県せい息地のような、海続きの所では、まだ、はるかに多い回遊距離をもつものではないかと思われる。従って、各地の目撃者の頭数合算は、多分に同一のものが含まれる可能性が多く、あてにはならないのである。
また、排泄物の状態、食物の残滓などで、せい息数を推定することはできない。
カワウソの糞は、泥状で特徴があり、1日20~30回にわけて一個所にするくせがある。また、イタチの糞との区別は、経験者でなければわからない。まして近年、本県南部の海岸地帯には、イタチが進出し、その糞が混同されている傾向がある。魚骨などの存在も、海鳥の場合が多く、排泄物や、残滓でせい息数を推定できるものではない。従って、せい息数の推定は林野庁のとる、狩猟対捕獲数による算定が、もっとも確実であらう。
今、県内一部の人の云うように、100頭余りも、せい息すると見ると、
(数式)
すなはち、1年に44頭余りも、密猟者や魚網、その他の事故死を考えねば、100頭ものせい息数にはならないのである。
事実はどうか。
ここ4~5年来、密猟者は絶無と云ってよい。数少くない、しかも、捕獲の困難なカワウソの密猟では採算もとれず、加えて、小学生に到るまでカワウソの捕獲禁獣であることを知り、警察、猟友会員の監視もきびしいのである。
魚網にかかるのは、これまた、極めて稀れで私は、昭和37年11月7日に魚島での例を一つだけ知っている。
その他、29年9月に激浪に洗われ、死亡したもの1頭、31年11月、野ツボに落ちこんだのを1頭、35年10月お互いの闘争による負傷死1頭等で、年間事故死、或は疾病などによる捕獲が1~2件あるか、なしである。
若し、100頭余りも今日せい息し、環境もいいとなると、5年後には数百頭、10年後には4千頭近くも殖え、沿岸漁業にも被害がでるようになるだらう。いづれにせよ、ここ数年で、この誤ったせい息数の推定は証明されることになる。
私は、昭和35年8月調査し、南部海岸地帯のうちで、無人島であり、自然の池もある最も・せい息環境のいい地ノ大島のせい息頭数を、寝床の状態から4頭と見て、これに類する好条件のせい息地を県内6ヶ所として、24~25頭のせい息数と算定した。
昭和37年12月、更に地ノ大島を調査したが、明らかに2~3頭のせい息を認めた。
この絶好のせい息環境でもってして、せい息数はほんのわづかであり、全体は推して知るべきで、一般の人は、野生大型哺乳動物のせい息頭数は、過大に評価し勝ちなものである。
わづかしかせい息せず、しかも、恵まれた環境とも伝えない、カワウソの将来は、まことに心細い限りである。
本来,Eurasian地方にすむカワウソは、池や川にすむものであって、時には河口近くの海に下ることはあっても、年中海にせい息する亜種はない。
世界中で、海にすむカワウソの代表は、北太平洋のSea Otterで、沖あいはるかに群せいし、体も大きく、水かきも大きく、海中に浮上して眠り、分娩、育児も海上、仔も開眼で産れ(L,luiraは開眼)、習性も、全く異るのである。それでさえ、魚族は思うように捕えられず、甲殻類や、軟体動物の定着するものを、主にエサとしているのである。
まして、本県産のカワウソが、年中海にすむとは云え、海産魚のような、直線に逃げる魚は、とうてい捕えられないだらう。しかし、淡水産の魚のように、驚いて木の下や、石の下に隠れる習性の魚は、手足とかい体を巧みにつかい捕えている。従って本県南部海岸地帯のカワウソが、栄養不良のもの多く、かつて衰弱死していたカワウソに、ダニがいっぱい着いていた例も見たことがある。
また、巣の問題で、カワウソは、なかなか用心深く、人通りのできない堤防などに穴を掘り、一方の出口は必ず水中に通じ、陸上にも出口をつくり、巣には敷草を敷いて、寝心地のよい巣をつくるのであるが、海岸地帯は岩石も多く、こうした巣はつくれず、一時岩穴などに隠れて休憩はするが、巣ではなく、巣に代るに、ヨシやアシの茂みが、巣代りをしている。従って、絶えず、戦々競々として、日々を送らねばならぬのである。
この二者の食住の関係からして、毫も恵まれた環境とは伝えないのである。
日本全体から見ても、もはや、殆んど絶滅し、本県にわづかに残るカワウソを、このまま放任する時は、やがて、絶滅も近いことと思い、私は昭和36年に、県重要文化財として保護すべく、申請した。
地球上に同じく生をうけ、これがいかなる理由によるとも、水遠に消滅することは、まことにさびしいことである。まして、古来より、カッパや大蛇になぞらえ親しまれた動物、これが、わづかに残って、生命の燈をよう仔の箱を檻の中に移動5日目(外のは雄)やく続ける今日、できる限りの保護と、種族の絶滅を防止せねばならぬことは、当然のことであらう。重要文化具として保護し、特別保護区を設けることも当然であり、なお人工を加えて保護繁殖し、若し、自然のものが絶滅したとしても、種族の存続が保てるよう努力することが必要であらう。
昭和37年5月9日、宇和海村で、漁師が、魚とまちがえ、ヤスで突き、重傷を負うたカワウソが、治療のため道後動物園に送られてきた。
右膝部上下二個所の創傷で、早速治療にかかった。さいわい、内臓に異状を認めず、創面を消毒し、ペニシリンを使い、縫合した。経過を見るに、1日何回かは、水中に潜るので、傷も治りにくく、加えて、縫合糸をかみきり、化膿を防ぐのが、大変なことであった。
このカワウソは、年齢二歳の雄で、栄養も悪く、治療を経過もかんばしくなかった関係か、益々削痩し、一時は生命さえ危く感ぜられたが、治癒後は、生ドジョウ1日500瓦、アジ1瓩を給し、次第に健康回復し、発育も順調となり、現在、見事な発育ぶりである。
たまたま、9月23日、南宇和郡で衰弱しきったカワウソの仔が捕獲され、同じく治療のため動物園に送られてきた。
かように、1年間のうちに、大して時を経ずして、しかし、2頭送られてきたことは、動物園始まって以来のことである。
このカワウソは、37年春産れの仔で、体重1.2瓩の雌、ひどい大腸カタールで、血便をもらし、運動もせず、捕えても、ジーツとしている程、衰弱していた。早速、アクロマイシンVの筋注、ヴイタミンの補給など、熱心な係員の努力で、次第に回復し、食欲も旺盛となり12月1日の69日目に、体重は約3倍の3.8瓩となり、益々順調な発育を続けている。
治療期間中は、別々の檻で飼っていたが、回復するに従って、管理上不便を感じ、いっしよの檻に移すべく計画した。
しかし、イタチ科の動物は、同一族でない限り雌雄であっても闘争し、鋭い歯のために一方が斃されることのあるのを恐れ、どうしていっしよにするかは、極めて慎重をせねばならぬことであった。12月11日、初めて、仔を雄の艦りに移して見た。案の定、お互い発見し合うや、猛烈たる闘争であり、直らに分離し、元の箱に移し、箱と共に雄の檻の中に置くことにした。
雄は、檻の中に、異物がきただけで、果より一歩も出ず、食欲も平常の1/3に減った。
また、子の雌も、箱の位置をかえただけなのに、食欲が同じように減った。
2頭仲よくエサをねだる(12月25日)
いかに、警戒心の強い動物であるかがうかをい知ることができる。
4日目頃から、両者食欲がで、時折り、雄は、仔の箱のそばに寄り、異物の存在をたしかめ、次第に箱の上にも乗り10日目位から上下で、遊ぶようすも見られだした。
14日目に、仔を箱から出し、いっしよにして見た。
最初はちよっと警戒したが、すぐ仲よくなり、今は、全く、共にたわむれ遊んでいる。
かつて私が、絵の中には入り、2頭のエサ取りを観察していると、2頭共そばに寄ってきて、オーパのすそをくわえ、遊びたがるようすを示し、はては、不恰好な短い手で、靴を押さえたり、トンキョウな顔つきで凝視したり、たわむれたりした。
部屋の外から呼ぶと、たとえエサ取り中であっても、金網の側により、はい上り、手を出して、私に触れようと努める。
まことに、なつきやすい動物でもある。
今は、全く仲良く、発育も順調で、時折雄は、発情の動作さえ示すようになった。
37年12月13日、ロンドンのCaroline Jarvis氏から次のような便りがきた。
I was very interested to hear that you have a pair of Lutra lutra from Japan, I hope you succeed in breeding from them, An excellent book on keeping Otter as pets was published in England about a year ago. It is colled Ring of Bright Water ond is by Cavin Maxwell (Published by Longmans).
しかし、この二頭のカワウソも、目下、県林政課狩猟係よりの、治療委託飼養中であり、県の文化財保護委員の中には、治療後は、南部海岸のせい息地に帰すべきだとの意見もあり、飼養許可申請中なるも、いまだ許可はおりていない実情である。
もし、自然に帰したとしても、すでに、同族より離れた2頭、必ずや闘争の末、傷づき斃死はまぬがれず、また、全く人に馴れて、よってくる状態、心なき人により、撲殺されないとも限らないのである。卒直に云つて、私は、自然に帰すことは刑場に送るのと、全く同じだと思われてならない。
すべて動物は、多少共こうした特種な性質があり、特にカワウソは強く、植物の苗とは違うのである。こうした絶滅しつつある動物に対して、諸外国では、どう取扱っているか、
例えば、北アメリカにおけるカワウソ(L.canndersis)も特別保護区を設け、Emil E.Liers氏が、その長をしており、一方では飼養場を設け、繁殖をめざし、1957年以来、4頭の雌より、着々と繁殖し、生態学的研究も成果を挙げているのである。
また、独乙のCologne動物園においても、Eriedrich Zeller氏によって、南米のGiant Otter(L,brasiliansis)を1960年に輸入し、繁殖をめざして研究している。
1962年末、日本に18羽しか残っていないコウノトリの保護につき、カナダのT.H.Bazett氏が来日され、種々の保護の提案もあったようだが、結極は、ロケット網で捕獲し、飼育園を設けることを進言されたようである。また聞くところによると、兵庫県は、お隣りの中国より輸入するとか、中国においても、数少なく、天然記念物であり、現在北京公園に飼われて繁殖しているものが送られるに違いないのである。
本年は、この方面の先進国であるスイスから専門家をまねくとか。スイスのBassel動物園の園長Lang博士は、この方面の世界的権威者であり、昨年末訪日され、高松の動物園にも見え、香川園長が、本県のカワウソの保護につき、意見をただしたところ、自然状態において絶滅しつつあるものは、人工を加えて種族の存続を図ることは、当然のことであり、このことに異論をさしはさむ人は、動物の真の保護を知らない人だと、極論されたと聞いた。
また、自然において絶滅した動物が、人工によって、その種族の保全された例は多く、中国のシフゾウ、ヨーロッパ野牛、ブルジェワルスキー馬等々、なお、上野動物園における丹頂鶴をはじめ、世界的にはゴリラ、チンパンジー、象、キリン、河馬など繁殖しており、いかに自然環境が不適当となつても、もはや、絶滅する恐れはなくなったのである。
いづれにせよ、絶滅しつつある動物の保護は、どうあらねばならぬかということは、すでに、明らかな結論が諸外国ではでているのである。
ここにおいて、前述の2頭のニッポン─カワウソも、自然のものを全力を挙げて保護するは勿論、人工を加えて繁殖を図ることは当然の措置であり、もし、この2頭(109頁下段につづく)
