ゴマフアザラシPhoca vitulinaの皮膚カンジダ症について

発行年・号

1967-09-04

文献名

飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
(A CASE OF CANDIDIASIS IN A HARBOR SEAL)

所 属

東京都恩賜上野動物園

執筆者

中川志郎,増井光子,田代和治,田辺興記

ページ

95〜98

本 文

広島市安佐動ゴマフアザラシPhoca vitulinaの皮膚カンジダ症について (1967.11.21.受付)
東京都恩賜上野動物園 中川志郎,増井光子,田代和治,田辺興記

A CASE OF CANDIDIASIS IN A HARBOR SEAL,Phoca vitulina
Shiro Nakagawa,Mitsuko Masui,Kazuharu Tashiro & Koki Tanabe, Ueno Zoological Gardens

§ 緒言

淡水で飼育される海獣類は,その生活環境の不適のためか,皮膚疾患に罹患するものが比較的多いように思われる。当園では1965年の夏より成雄のゴマフアザラシPhoca vitulinaにCandidaによる皮膚病が認められた。本症は難治で,これ迄再三再発を繰り返し,現在なお根治するにいたっていないが,これ迄の症状,治療等について報告する。

§ 罹患動物の来歴と飼育環境

罹患動物は,1964年3月小樽子供動物園より来園した個体で,来園後2度収容場をかえ,1965年5月より18m×18mの収容場に飼育し,現在に到っている(図1参照)。プールの水深は約70cm,水は井戸水と市水を併用し,夏期は常時オーバーフローし,全体の換水は1週間に1度,冬期は半月に1度行なっており,その時プールはサラシ粉を用いて清掃している。

Fig.2 Patient Seal
Dot signs show affected portions

§ 1度目の発症

a.症状
1965年8月下旬,右眼周囲と下唇周囲に脱毛,発赤があるのを認めた。しかし特に疼痛や痒覚は認められず,食欲元気共に良好であった。患部は次第に広がり,9月上旬には左眼上部,後肢にも脱毛を生じてきた。しかし気温が高いため,保定時の事故を懸念し,患部の検査については秋になって行なうことにした。9月下旬には,更に腹部にもカシの実大の脱毛がみられ,患部はいづれも潮紅著しく,表面はあらく顆粒状に隆起していた(図2)。

Fig.I.The Enclosure of Harbor Seal

b.検査
11月6日,東大皮膚科の野波博士の協力を得て,患部の検査を行なった。患部の組織を一部切除し,10%KOHで処理し,直接鏡検を行なったが,外部寄生虫等は認められなかった。この時の検査では充分な検索が不可能であったため,12月4日に再度保定し,組織片を採取した。この材料より,鏡検及び培養でCandida sp.が認められた(表1参照)。

c.治療及び経過
11月9日より,一応真菌症を疑ってグリセオフォルビン20mg/kgを,体重60kgと推定して投薬した。12日間投薬したが,何ら著変は認められなかった。Candida症と判明してからは,トリコマイシンによる治療を行なった。投薬は12月11日より行ない,3回に分けて投与した。第1クール投与中に患部には黒点が現われてきた。第2クール目より,トリコマイシンの量を40万単位より50万単位に増量した。黒点は次第に広がってきたので,治療は第3クール迄とし,1966年1月20日で投薬を中止した。その時には,患部の潮紅は減退し,下唇,眼の周囲等は一様に黒色となっていた(表2参照)。

Table 1. Clinical Examination

Table 2. Drugs and Doses 1965~1966

§ 2度目の発症

a.症状
前回の治療後経過は良好と思われたが,1966年の夏,再び前回と同部位に脱毛,発赤するのが認められた。即ち,右眼周囲に1.5cm巾,左眼瞼下縁に米粒大のもの2個,下唇周囲1cm巾,後肢下面に拇指頭大のもの左右数個づつ,前肢の爪のつけ根,下腹部に大豆大~米粒大のもの数個等の脱毛,発赤する病変部を認めた。前回同様,気候の涼しくなるのを待って保定,検査したが,保定に際し,患部からは容易に出血した。

b.検査
11月11日,東大医学部皮膚科,香川,野波両博士に診察,検査を依頼した。右眼,前,後肢,腹部の4ヶ所より組織片をとって培養した。しかし不成功であったので11月25日,再度材料採取し培養したところ,Candida属の真菌が検出され,Capcdida albicantsと同定された(写真1,2参照)。又本個体の飼育されているプールの水を6ヶ所採取し培養を試みたところ,図1に示すNo.1,2,5の部分よりCandida albicansが認められた。対照として近隣のアシカ池から採取した水からは,何等病源性ある真菌の発育は認められなかった。更に1967年1月10日には血糖値を検査したが,その結果は6.5mg/㎗であった。(表1参照)

c.治療及び経過
トリコマイシンとビタミンB複合体を用いて治療を行なった。保定時に体重を測定したところ82kgあったので,今回はトリコマイシンの量を80万単位に増量した。(表3参照)ビタミンB複合体は始め10錠(B2として100mg(投与していたが,45日日より1日2錠(B2として20mg)に減量した。トリコマイシン投与後,9日日右眼上方の患部に3ヶ所の黒点が認められた。

Table3.Drugs and Doses 1966–1967

16日目:潮紅は次第に薄れ,黒点は右眼下部,下唇にも認められた。
34日目:経過は良好で黒点は次第に広がってくる。
39日目:右眼の周囲と下唇,指の間にまだ淡紅色の部分があるが,全体としては黒くなってくる。
43日目:保定し,患部を調べたが,保定時の出血は殆んどなく,患部の異常な顆粒状の肉芽増生も減少している。
60日目:下腹部の発赤もなくなり下唇もほぼ黒くなる。
81日目:右眼周囲に僅かに発赤が残っているが,他は大体黒くなる。101日目:右眼上眼瞼,内皆にごく僅か淡紅色の点状の患部がみられるが,他は殆んど黒化した。本日で投薬は中止する。
その後の経過は良好で3月下旬には短時日のうちに換毛も終了し,患部も黒色を呈している。

§ 3度目の発症

a.症状
1967年6月下旬,何となく右眼瞼部が赤いように思われた。7月上旬には明らかに右眼周囲は発赤し,小指頭大のもの1ヶ,大豆大のもの2ヶ下唇周囲に1cm巾の帯状の脱毛,発赤がみられた。7月中旬には,右眼周囲及び左眼瞼部に3ヶ所の脱毛が認められた。しかし発赤の程度は前回より経度であった。

b.治療及び経過
これ迄のことからみて,再発したものと思われるので,7月24日よりトリコマイシンの投薬を開始した。投薬開始後4日目に患部の赤味は減退してきた。トリコマイシンは16日間投与して1週間休薬し,その後はナイスタチンを用いて治療を行なった(表4)。患部は9月中旬より次第に黒味を増してきた。10月18日には全ての投薬を中止して経過をみているが,現在殆んど患部は黒変しているが,右眼周囲,下唇部になお淡紅色の部分が残っている。今回はこれ迄2回に認められた腹部及び四肢には脱毛は認められなかった。

Table 4. Drugs and Doses 1967

§ 考察

動物園で飼育される海獣類は大部分のものが淡水で飼育されている。その自然環境とは異なる条件下で飼育される為か,種々の原因による海獣類の皮膚疾患は比較的多いように思われる。1965年度に上野動物園が担当した“アシカに関する調査”7)においても,回答をよせた42園館中,12園館,約28.6%のものが皮膚疾患罹患例を報告している。当園においてもこれ迄,オットセイ,アシカ等に数例の皮膚病を経験し,そのうちアシカの1例はグリセオフォルビンの投与で治療したことがある6)。又土浦市に飼育されるアシカにも真菌症が認められ,グリセオフォルビンの投与で治療したとのことである。又外国でもE.Eriksen 2)は4頭のゾウアザラシ,1頭のセイウチに細菌性の皮膚病が認められたことを述べており,R.P.Diblone 3)マナーティーのEpidermophyton floccosumによる皮膚病を報告している。当園のゴマフアザラシは1965年よりCandidaにより真菌症に罹患し,以来毎年再発を繰り返して難治となっている。発症部位は毎回同部位に認められ,右眼周囲よりまず発生し,下唇,左眼という順で症状が認められる。発症は毎年夏期に認められた。本個体のいるブールの水からも3ヶ所よりCandidaが検出されたが,その部位は,本個体の好んで休息する場所と,水のよどみの部分である。オーバーフローによる水流のため,流れのある部分からは検査されなかった。このことについては真菌症に罹患したため水中に真菌が認められるようになったのか,或いは元来そこにCandidaがあって感染したものかは,これのみでは結論は下せない。しかし,近隣のアシカ池の水からは,病原性ある真菌は何等検出されなかった。
患部より検出された真菌はCandida albricarnsと同定されたが,これが原因となる皮膚病は,香川博士によれば,人の場合には糖尿病等の内分泌障害ないし全身の消耗性疾患に続発する場合と,かかる全身性基礎疾患がなくとも,局所性ないし全身性の生活環境の変化,例えば過度の水仕事,極端に湿気の多い環境等に働く人等に一種の職業病として発現することが多く,かかる場合には環境を変えない限り,屢々難治となり,再発をくり返す傾向が強いという5)。Candidaは元来自然界に雑菌として常在するため,本菌の発育に好都合の状態が生ずれば発病は容易に起るわけである。本個体も難治のため,糖尿病等の有無を調べるため血糖値の測定を試みたところ。65mg/㎗の値を得た。他のアザラシの血糖値の比較するべき例を見出し得なかったが,人の正常値80~110mg/㎗4),ネコで64~84,77~118mg/㎗との報告例1)からみて正常値と思われ,且つ全身状態より推して,Candidaの感染要因となるべき全身的な疾患はないものと考えられる。本症の発症要因としてはむしろ生活環境の不適当なることがあげられるのではなかろうか。もしこのアザラシを自然の生活環境に近い状態,即ち,海水,或いは塩水を用いて飼育するならば,それのみにて本症は自然治療に向うかもしれない。この点は一考の余地があるものと考えている。
終りに,本症の診断,真菌の検出,同定,治療に種々御協力,御教示下さいました東京大学医学部皮膚科,香川三郎,野波英一郎両博士に深く感謝致します。

文献

1) Catcott E.J.:(1964) Feline Medicine & Surgery,American Vet. Publications.U.S.A.P27,
2) Eriksen E.:(1962) Diseases of Seals in the Copenhagen Zoo, 4th Int. Symposium on Diserses in Zoo Animals Copenhagen. P141~149,
3) Dilbone R.P.(1965) Mycosis in a Manatee, J.A.V.M. A. Vol.147 No.10. P1095,
4) Ishii Y.:(1965)臨床検査技術講座 第4集 生化学,金原出版株式会社,東京
TEŽ, #Fun ,
5) 香川三郎:(1967)私信による
6) 土浦市役所:(1967)〃 〃
7 上野動物園:(1966) アシカについて 日動水誌Vol.Ⅷ No.1.2. P48~60

Photh.1 眼瞼部周囲の患部

Photo.2 培養されたCandida albicans.

SUMMARY

In the middle of Aug. 1965, an adult male Harbor Seal, Phoca vitulina keeping in fresh water was affected dermatitis.
Around eyes, maxilla, parts of radix of fore fin nails, hind fins, and parts of abdomen were affected (see Fig.2).
The lesions were erythematous, granulated, loss of hair and easily bled when rubbed, but the patient showed no pain or no itching.
By culture examination, we revealed this lesions suffered from Candida albicans (see Tab.1).
Trychomycin, Nystatin, Vitamin B complex and so on were given orally comparatively long time (see Tab.2-4 for detail doses and administrative periods).
Complete cure of this dermatitis are seemed to be difficult for this disease recurs every summer despite of the therapy above mentioned.
Then we suppose that this constitution is one of the causes