いわゆるカンガルー病について
発行年・号
1960-02-01
文献名
飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
所 属
名古屋大学環境医学研究所,名古屋市東山動物園
執筆者
千葉胤孝,佐藤晴久,浅井 健
ページ
8〜11
本 文
広島市安佐動いわゆるカンガルー病について
環境の異変が生体に及ぼす影響についての病理学的研究(8)
名古屋大学環境医学研究所 千葉胤孝
名古屋市東山動物園 佐藤晴久
浅井 健
緒言
Kangarooの剖検が1951年から1959年までに8例(名古屋動物園での経験された。そのうちの3例が所謂Kangaroo disease(Jaw disease)であった。これについて病理学的に検討を試みたのでその所見について記載する。
材料と方法
材料は名古屋動物園で飼育した3例である。組織はフオルモールで固定し、H-E染色、Good-Pasture菌染色、その他必要に応じて特殊染色を行った。
所謂Kangaroo diseaseについて。
症例Ⅰ red kangroo ♂
昭和27年12月25日来園、当時、性質は粗暴で、元気であったが、昭和28年1月中旬から元気を失った、寒気のためと考え、煖房室に移転した。其の後、1月25日左頬が稍々腫脹して、食欲が減退し、マイシリン、葡萄糖、V.B1の注射を施したが、食欲は恢復するも、左頬の腫脹は著明で、眼瞼にまで至ったために切開、多量の膿を排出したが、その後3月上旬、下顎部の腫脹を来たしたのでサイアチン、ロジノン、マリスチン、V.B1、ジキ タミンを注射して治療に勉めたが、眼球部にまで病変が進行したため、患部の再切開と眼球を摘出して治療したが遂に3月24日敗血症で斃れた。
病理解剖学的所見。
体格中等、栄養は不良、頭部:左側の上顎、下顎に亘って、大きな膿瘍を形成し、厚い結合織の膜によって包まれる。左側の眼球は病変の進行のために摘出され、眼窩は緑色の膿汁で充され、下顎には大きな膿瘍を作り、中心が軟化する。下顎の臼歯は膿瘍のために脱落し、膿瘍は鼻中隔に接する。右側口角に病変波及する。胸腔:心臓、右室が拡張し、赤褐色である。肺臓、左側には小豆大の2個の結節が表面に形成され、中心部がやや陥み、割面の中心部が緑色で、一般に鬱血する。右側の肺臓には粟粒大の緑色をなす結節が多数散在する。腹腔:肝臓は暗赤色で腫大し、脂肪変性を伴う。脾臓:形態は、特殊な形で人字形であり、色は淡く、特に著変がない。腎臓:左、右共に被膜が肥厚、剥離困難で暗赤色を示す。
組織学的所見。
病変部:皮的は尋常であるが、皮脂腺は菱縮。真皮組織は粗、汗腺は萎縮する。皮下組織には少数の細胞を散在せしめる処あり。筋組織内に大きな膿瘍を作り、壊死塊があり、また好中球の集積があり、ここに接する処は幼若な結合繊細胞と小血管が増加し、少数の淋巴球の散在をみとめる。心筋:線維が細く、小空胞が存する処あり。又一部に搬痕を示し、間質の血管が拡張し周囲に少数の細胞が散在する。
肺臓:欝血し細小気管支内腔に滲出物がみられる。肝臓:小葉は大体認められ、欝血し、小空胞の存在するものがあり、微細な赤染顆粒を充し、限局せる比較的大きな壊死巣があり、末梢血管枝周囲、或は胆管周囲に、淋巴球、好中球、形質細胞の浸潤をみとめる。脾臓・原材はよく発育し、濾胞は数が少く、やや不正形を示す。ここの細胞は成熟した淋巴球からなる、脾洞には血球を充す。腎臓:糸球体は血液にとみ大きいボーマン氏嚢と接す。細尿管は小形である。腸管粘膜は萎縮し浮腫を伴い、粘膜下織は浮腫し、少数の細胞が散在する。
症例 2 great grey kangaroo ♀
昭和28年2月5日頃からやや元気がなく、食欲不振のために暖房室へ隔離して、マイシリン、ロジノン、V.B1を注射したが、食欲は不振で、次第に下顎部の腫脹が著明となって、口腔内から悪臭を放つ様になり、開口が出来ず、哺乳瓶で果汁等を与えたが、3月上旬には全く採食が困難となって3月15日に斃死した。
病理解剖学的所見。
頭部:上、下顎は左右共に腫脹し、口腔より悪臭を放つ。下顎から口角にわたり、大きな化膿病巣を作り、これが上方に至り、口蓋に膿瘍を作り、中心が空洞となり舌根にも不正形の病巣を作る。胸腔・心臓、心外膜に少量の線維素を附着、心筋は煮肉状。肺臓は欝血、浮腫。腹腔:肝臓は脂肪変性が強い。腎臓は小形で、表面には処々搬痕を形成し、表面に微細な尿酸塩を附着、溷氵虫する。脾臓、尋常。胃は嚢状。充血、カタル。
病理組織学的所見。
病変部、大きな膿瘍は処々壊死、崩壊し、処々に菌塊がある。又好中球の集積がある。病巣は筋組織内へと移行し、細胞浸潤を見、又筋線維は圧迫される。舌、表面には変性した細胞と、硝子様物質を付着する。扁平上皮細胞は大小がある。この下方の粘膜下には幼若な結合織細胞、小血管が増加、好中球、淋巴球が散在し、又膿瘍を作り、筋組織内に大きな膿瘍を作り、周囲が壊死する。筋線維は萎縮し、小血管が増加し、充盈する。又筋線維は変性崩壊に至る処あり。処々菌の小さな集塊がある。心筋、心筋線維は線細、間質は浮腫を認める。肺臓気管枝内に血液を含む滲出物をみとめる。肺胞は大小がある。肝臓、小葉は大体認めえる。欝血が強く、肝細胞は小形で、離解、膨化する。限局して壊死し、小胆管が原型を示し萎縮するものあり、間質の胆管周囲に淋巴球や形質細胞が浸潤する。又或る壊死巣には小さな菌の集積があって、処々こわされた好中球が存する。脾臓、被膜はやや厚く、脾材が多い。濾胞は不正な形で、数が少い。脾洞は大体認められるが、ここに色素細胞をみとめ、好酸球は少い。腎臓、糸球体は大小があり、線維化を示すものあり、係蹄の構造が不鮮明で、ボーマン氏嚢内に滲出物をみたし、又ここに菌体をみとめ、これが集塊となるものがある。細尿管は萎縮、崩壊を示す処あり。被膜は波状で浮腫し、間質に好酸球、淋巴球等の集積あり、間質は化膿炎を伴う。髄質、小血管に血球をみたし、集合管は線状で大小あり、尿酸塩(石灰)の沈着がみられる。胃:被覆上皮は剥離する。腺細胞は小型で粘膜下織の淋巴装置は崩壊し、好中球を含む細胞が浸潤し、粘膜内並びに筋層に至る。粘膜下織の小血管は拡張する。
症例 3 great grey kangaroo ♂
昭和28年1月上旬、red kangarooに左耳を咬まれたが、2月6日、元気、食欲共に不振となって、ペニシリンの注射、創部の洗滌につとめたが2月28日斃死した。
病理解剖学的所見。栄養不良で、痩削は中等度。頭部:左耳は咬傷のため、上方は壊死し黒変する。咬傷部は大きな膿瘍があって、膿汁を附着する。この部は後頭に至り、骨質に黄色の物質を付着する。脳は充血する外病変はない。胸腔:肺臓、左肺の上葉の尖端に灰白色の膿瘍を作り、右肺の下葉には大きな灰白色の膿瘍を作り、横隔膜と癒着する。心嚢の下方、即ち縦隔洞に硬い膿瘍を作り、右肺の膿瘍と連らなる。心臓は拡張する。肝臓は暗赤色。膵臓は石板色、泥状。腎臓は暗赤色で腫大する。
病理組織学的所見。
耳介、全く壊死し、膿瘍を認む、別の標本では軟骨組織は尋常、外皮には黄褐色の顆粒状物質と、小出血、壊死物質を附着し、こわれた好中球が層をなしており、幼若な結合織細胞が多数と、形質細胞、淋巴球が浸潤、小血管がます。肺臓、肺組織内には不正形を示す膿瘍があって、肺胞内に滲出物をみたし、或は好中球等を充し、処々に菌塊があり、胸膜は肥厚し、肺胞が一部線維化する処がある。又充血し、血管の周囲に細胞浸潤があり、血管壁に膿瘍を作る処がある。心筋、線細。肝臓、酵血が強く、肝細胞は離解、膨化する。末梢血管枝に細胞通潤をみとめる。腎臓、糸球体は大きく、血量にとむ、細尿管は小さい。胃、粘膜、萎縮、線維化を示す処あり。粘膜下織は浮腫、腸粘膜内に好中球等の浸潤あり。粘膜下織は浮腫し、好中球等が浸潤し、ここに小さな濾胞様をなす淋巴球の集積あり。
所見の総括
3例の所謂kangaroo diseaseを経験した。即ち症例1は左頬が腫脹し、食欲の不振、減退が主徴であって、軟部組織を経て眼球にまで病変が進行し、遂に敗血症を以て斃れ、症例2は下顎が腫脹し、開口出来なくなり、採食困難となって斃れ、症例3は前2者と異って、症例1により左耳を咬まれ、該部が壊死し、同時に食欲不振、採食困難を来たして斃れた。肉眼的に症例3は肺臓に膿瘍がみられ、これが死の原因となった。又症例1は上顎、下顎の軟部組織に膿瘍を形成し、摘出した眼窩内に緑色の膿汁を認め口角、舌根にまで病変が至っている。症例2は上、下顎共に腫脹し、大きな化膿巣を軟部組織に形成し病変が口蓋に迄も至っている。組織学的に、これらの軟部組織の病変は大きな化膿巣で、菌の集落、化膿巣の軟化、崩壊、融解、壊死があって、これの周囲を幼若な結合織と好中球、淋巴球で占め、小血管が増し、筋組織へと病変が蔓延するに至る。又舌根部(症例2)では、筋組織内に膿瘍を認め、扁平上皮細胞が一部こわれて、ここに好中球が散在している。そのほか肺臓では症例3に於ては大きな膿瘍を作り、菌の集塊があり、又間質の血管壁にも膿瘍を作り、肋膜は肥厚して、肺胞壁は厚くなり、充血を伴っている。症例1,2では肺臓は充血のほか細小気管枝の周囲に細胞の集積がみられる。肝臓では欝血、肝細胞の離解のほかに、症例1,2では限局した大きな壊死巣がある。又血管の周囲に症例3では細胞浸潤をみとめ血管炎を伴う。腎臓は症例2に於て糸球体の崩壊、搬痕化、ボーマン氏嚢内腔に菌塊を認め化膿性間質炎を示した。
考察
有袋類の宿命的にして且つ特殊な病変を示すKangaroo diseaseはLe SouetがSidney動物園例に就いて検索し、硬い草が軟い口腔の粘膜を穿刺し、又歯間、歯肉を貫いてここから細菌の侵入をゆるし、膿瘍となって拡がるが、FoxはStreotothricosis or nocardiosis of Kangarooとして唇、歯、舌、頸部の腫脹を特徴とし、放線菌の或る種のものによって起るが、この他の細菌、例へばブドー球菌、化膿菌、肺炎菌、大腸菌、時にはアスペルギルス属の黴も関与して、これを悪化させることを明にし、Gram陰性の運動性のない細い桿菌が病変部に多くみられるといい、Watesらは顎の膿瘍の膿汁からGram陰菌を検出しgenus Facterioidesの他にFusobacteriumに属するものをみている。本症についての臨床的の徴候としてはFoxは最初は食欲を失い行動がなって衰弱するが、口腔内の病変の悪化すると共に食物が咀嚼出来ずに斃れるというが、長期にわたるときには、炎が頸部から更に骨に至って胃潰瘍、小腸カタール、気道の機械的障害のために肺炎を起すといっている。又彼はkangaroo diseaseのうちJawの変化を示す壊死型が30%,Jawの変化を缺き胃腸にのみ病変を示すものが11.4%と云う。私共の例は2例が壊死型で1例が敗血症型であるが、今回の報告例以外の剖検例で胃腸型域は肺炎型に属すると考えられるものがある。これについては又いづれ報告する。而して本病を早期に発見して1万倍の水溶性penicilinの感染部への注入、60万単位のプロカイン、ペニシリンの筋注、或はsulfapyridineの患部への挿入で、2、3日で治癒することをWattesが述べているが、これは注目すべきことであろう。Foxは輸入時に於ける検査で歯肉に紫色の斑がある時は本症の初期であるといいこれも注意してよかろう。本病の予防としては軟い草を与えることによって或る程度目的を達しうるとLe Souefはのべており、これらの事項が吾が国のカンガルーの飼育についても充分考慮してよかろう。吾が国の動物園に於て屢々散見されるカンガルーの顎の腫脹はactinomycosisと診断されているが、これがactinormycosisかどうか疑わしいように思われるものである。この点は今後の研究に期待したい。
結言
私共は3例のkangaroo disease(jaw disease)を検索した。即ち症例1は左頬の腫脹、食欲の不振を示し、軟部組織を経て眼球にまで病変が進行を示し、眼窩には緑色の膿汁を充たし、敗血症死し、症例2は下顎が腫脹し、開口出来ず、上下顎に膿瘍を作り、組織学的に化膿巣を結合織で囲む、この例は舌根部に膿瘍を作り、又腎臓に化膿性炎を伴った。症例3は肺臓に膿瘍を作り、血行性に病変が進展した例である。これらの例はFox等の記載する所見と一致する。
文献
1 Fox.H. Diseaes in captive Wild Animals and Birds 565,570,595, 1923. Rippincott Co.
2 Watts.P.Sand Sibely.J.Miclean.Jour.Comp.Path.& Thrap.66, 159 - 165.1956
3 Le Souef.S.Diseases in Captive wild Animals amd Birds,Fox.H.による(pp572)1923.Rippincott Co.
1 症例(2)上顎、下顎に大きな化膿巣形成、左舌根部に膿瘍形成
2 肺臓症例(3)大きな膿瘍形成
3 顎症例(1)化膿巣菌塊をみとむ。
4 顎病変部、筋肉内に炎症変化を認める
5 舌根部表層に化膿性炎をみとめる
6 胃(症例1)粘膜下織に円形細胞の集積