フクロテナガザルの人工哺育と1年間の成長記録
発行年・号
1985-27-03
文献名
フクロテナガザルの人工哺育と1年間の成長記録
(Hand-rearing a Siamang, Hylobates Synd actylus,
and its Growth Data for a Year
Koichi Murata, Yoshinori Matsuo, Masakatsu Okamoto,
Masatoshi Nakaoka and Masatoshi Konishi (Kobe Oji Zoo)
)
所 属
神戸市立王子動物園
執筆者
村田浩一, 松尾嘉則, 岡本正勝, 中岡正利, 小西正俊
ページ
30~32
本 文
フクロテナガザルの人工哺育と1年間の成長記録
神戸市立王子動物園 村田浩一,松尾嘉則,岡本正勝,中岡正利,小西正俊
Hand-rearing a Siamang, Hylobates Synd actylus,
and its Growth Data for a Year
Koichi Murata, Yoshinori Matsuo, Masakatsu Okamoto,
Masatoshi Nakaoka and Masatoshi Konishi (Kobe Oji Zoo)
1983年2月7日,当園のフクロテナガザルHylobates Synd actylus(雌,推定年令9歳)が出産した.しかし母親は当初から新生児を哺育する様子も見せず,床上で体温の低下した子の衰弱も著明なため,当日人工哺育に切り換えた.
フクロテナガザルは昭和57年度の日動水調査6)によると,日本国内の8動物園で17頭が飼育されており,出産例もいくつかある.しかし本邦では未だ人工哺育例はなく,その成長記録は他の類人猿との比較や今後の飼育の参考になるものと思う.出生時より記録している経過のうち,今回報告するのは365日間をまとめたものである.
出生まで
両親は1980年1月22日に来園した雄1頭,雌2頭(3頭とも来園当時の推定年令6歳以上)のうちのペアで来園以来3頭ともに同居している.今回の母親は1981年6月20日に初産経験があるが,この時にも哺育をせず,子は人工哺育9日目に肺炎で死亡している.この時から今回の出産までの間隔は561日であり,これはサンディエゴ動物園に於て人工哺育のために子をとり上げた後の出産間隔3)に比すと長い.しかし今例から3産目の間隔は324日であり,上記の報告とほぼ等しいものである.なお3つの出産例とも交尾は確認することができなかった.
当新生児は雌で出生時体重は580gあり,両眼はすでに開いていた.発見時は寝室内のコンクリート床上に仰試していたため体温は計測可能値(34°C)以下で,呼吸数は18回/分,心拍は48回/分であった.
哺育方法
保育箱
当初はヒト新生児用の保育器(OHIO社製Transport Incubator)とアンカを併用した.器内温度は33~35°C,湿度は70%を維持した.生後132日目からはプラスチック製ケージに移し,222日目から昼間は屋外で飼育した(写真1).
授乳と哺乳中止
乳はヒト新生児用粉乳(レーベンス®60)2.6gを20mℓの微温湯に溶かし(濃度13%),犬ネコ用哺乳ビンと乳首で与えた.また微温湯を毎日少量与えた.
1日の授乳回数は当初5回で4~9mℓを3~6時間おきに夜間も与えたが,生後76日目より4回,136日目からは3回に,206日目より263日目までは2回と減らし,以後は1日1回の授乳とした.成長に伴い授乳への依存率も低くなったため300日目に哺乳を中止した.授乳量の変化及び成長に対する授乳量の割合の変化は図1に示す.授乳量が76日目をピークとして下降し始めているのは,固型食の採餌とこれによる授乳回数の減少に関係している.
離乳
59日令で初めてリンゴの果汁を与えた.62日令ではリンゴを自らかじり果汁を飲むようになり,79日令には果肉も食べるようになった.90日令からは固型食をすすんで食べるようになり,特に蒸しいも,ほうれん草,パン等を好んだ.360日令の1日の採食量は約240~300gである.
写真 人工哺育中のフクロテナガザル♀(86日令)
哺育経過
病気
生後18日目にくしゃみ,鼻汁流出,水様下痢便排泄を主徴とする風邪様症状を呈したが3日で軽快した処置としては,5%グルコースおよび整腸剤の経口投与であった.
また,156~164日令にかけて軟便が続いたが,授乳量 および食事量を制限することで治癒した.
行動および生理的変化
人工哺育の期間中観察された特徴的な行動変化の概略とその日令を表1にして示す.
体重は出生時より2日令で最低の520gに減少し,後再び増加していった.体重の増加も授乳量と同じく5日および10日間の平均値を表1に示した.
体重の増加およびこれと前肢長(上腕より指の先端まで)と頭胴長の成長の相関を見るためそれぞれの値を両対数座標にとって調べてみた(図2,3).
体重と前肢長の増加は相関係数99%の直線的関係で,明確な相対生長を示している.また体重と頭胴長の関係では,体重約900gのところを変調点として,その前後の直線がそれぞれ97%の高い相関で相対生長を示していることがわかる.この直線を用いてNapierら5)の示すフクロテナガザル(成雌)体重9.0~11.6kgから頭胴長を求めると,彼らが同じく記載した成雌の頭胴長の範囲(438~630mm)に当てはまる.なお体部の測定には当初ノギスを用いていたが大きくなるにつれ使用が困難になったため巻尺による計測に切換えた.
乳歯の萌出は3日令で下乳中切歯を認め,以後表2に記した順序で出現し,181日目には上第1大臼歯(永久歯)の萌出を認めた.乳歯の萌出時期の傾向としては,第2乳臼歯を除いて下顎の方が上顎より早く,藤田2)の記載したヒトの平均萌出順序と比較すると下乳中切歯の萌出以外はすべて異なっていた.また鮫川7)の報告したシロテテナガザルの3例と比べると犬歯と第2乳臼歯の崩出順序が上,下顎で逆転していた.
図1 体重と授乳量の変化(100日令までは5日間の平均をとり,以後は10日間の平均を各点に示した.各点のたて軸の上・下端はそれぞれ日間の最大・小値を示す.) および体重に対する授乳量の関係(上記の破線図).
表1 人工哺育期間中観察された行動の変化365日令までの観察
表2 人工哺育したフクロテナガザル(♀)の乳歯および永久歯の萌出日令(365日令までの観察)
考察
今回, 母親が哺育をせず人工哺育をする結果になった原因のひとつは,成獣3頭の同居にあると考える.野生ではほとんどペアを形成して暮している種であることを考慮して早期に1頭を分離する必要があったであろう.なお現在は自然保育を目指してペア飼育を行なっている.
フクロテナガザルの人工哺育中に問題になったのは多くの動物の人工哺育例と同じく離乳時期の決定であった.今回完全な離乳(哺乳中止)は300日目に行なったが,この日令に大きな意味はない.Keelingら4)は野生での離乳時期が4~7か月令の間であると引述しているが,これに比べると本例の離乳開始から哺乳中止までの期間は長すぎる.75日令から140日令にかけて認められる体重増加の授乳量に対する依存率の低下は野生での観察によく符合するものであり,本例の離乳時期もこの頃まで早めることが可能であったと考えられる.しかしロ唇欲求などの心理面の問題もあり,十分に観察を行ないつつ短縮化を計る必要があろう.
成長に伴う外形的変化のうち興味あるものは図2,3に示した体重と前肢長および頭胴長の相対生長である.特に体重9109,頭胴長24.5cmを変調点とする時期は,乳臼歯がはえ始めた頃にあたり,すすんで固型食を食べ出した離乳開始の時期でもある.また座位ではあるが手・足を使った移動をさかんにするようになったのもこの頃である.これらの生理的,行動的変化に関る体形の変化が体重約900gを境にして起ることをこの変調点は意味していると推察する.このことはまた先に述べた離乳開始時期の判断に対して変調点がひとつの指標になることも示唆している.前肢長と体重との相対生長には変調点が認められず,テナガザルに特有な胴長に比して四肢の長い体形の成長経過がこの2表を見較べるとよくわかる.Buschang1)はブラキエーション・タイプのテナガザルの上腕骨長と撓骨長の相対生長を調べ,ナックル歩行をする他の類人猿2種との相違を示しているが体重や頭胴長など生体計測値との比較は行なっていない.今後類人猿に関して測定資料を集め調べれば,上で述べたようなテナガザルの成長の特異性がより明確になるものと考える.
図2 人工哺育したフクロテナガザル♀の体重(X)の前肢長(Y)に対する相対成長(両対数座長)
図3 人工哺育したフクロテナガザル♀の体重(X)の頭胴長(Y)に対する相対成長(両対数座表)
今回の報告は1例のみの途中経過であり,歯の萌出などは永久歯へのはえかわりまで継続観察する必要がある.また体重と頭胴長および前肢長の成長関係も成獣になるまでの記録をとることでより充実化し,野外観察にも役立つものにしなければならない.しかし,本邦ではこの種に関する成長記録の報告はなく,たとえ乳幼児期に限ったものであれ,ひとつの基礎的なデータを提供するものと思う.一方,可能な範囲で定期的計測および観察を行ない記録を集積してゆくことは今後の課題としたい.
要約
当園で出生したフクロテナガザルHylobates Syndactylus(♀)を人工哺育した.授乳はヒト新生児用粉乳を用い生後59日目から離乳を開始して300日目に哺乳を中止した.乳歯の萌出,体重,頭胴長,前肢長の成長記録などを1年間まとめたところ,これらと離乳時期との関連を知ることができた.また体重と頭胴長・前肢長は著明な相対生長を示すことがわかった.
引用文献
1) Buschang, B. H (1982): The Relative Growth of the Limb Bones for Homo sapiens-As Compared to Anthropoid Apes, Primates, 23, 3, 465-468
2) 藤田恒太郎(1965):歯の話,72-80, 岩波書店
3) Hi11,C.A.(1967) :Anote on the gestation period of the siamang Hylobates syndactylus, Int Zoo Yb,7,93-94
4) Keeling, M. E.&McClure, H.M.(1972): Clinical Management. Diseases and Pathology of the Gibbon and Siamang, in Gibbon and Siamang Vol.1,201-249,S.Karger
5) Napier, J.R.& Napier,P.H.(1967):A Handbook of Living Primates. 316-319. Academic Press Inc., London
6)日本動物園水族館協会編(1983):昭和57年度日本動物園水族館協会年報,210-211,同協会
7) 鮫川哲郎(1983):シロテテナガザルの人工哺育について,1982年度近畿地区動物園技術者研究会発表資料
(1984年12月24日原稿受付)
SUMMARY
A siamang, Hylobates syndactylus, (female) was hand-reared with powdered milk for human babies and weaned 33 days after birth. After recording dental development, the growth of head and body length, forelimb length and body weight of the animal for a year, it was considered that they could be a good index to define the weaning period. There was also a clear relation between body weight and forelimb length and between head and body length.