ホッキョクグマの肝細胞癌について
発行年・号
1985-27-04
文献名
ホッキョクグマの肝細胞癌について
(A Case of Hepatocarcinoma in a Polar Bear,
Thalarctos maritimus
Hiroki Kato and Masamichi Seino (Sendai Yagiyama Zoological Park)
)
所 属
仙台市八木山動物公園
執筆者
加藤博企,情野正道
ページ
98~102
本 文
ホッキョクグマの肝細胞癌について
仙台市八木山動物公園 加藤博企,情野正道
A Case of Hepatocarcinoma in a Polar Bear,
Thalarctos maritimus
Hiroki Kato and Masamichi Seino (Sendai Yagiyama Zoological Park)
はじめに
肝細胞癌は,ほとんどの家畜に報告例があり,肝臓の腫瘍性疾患としてごく一般的に見られるという14).野生動物では, カバ,タンチョウ9),アカゲザル8),シマリス,フェネック,ジャコウネコ,フラミンゴ,アカハシハジロ,サイチョウなど18)に報告が見られるが,クマ類ではまれである3) 8) 18).
今回我々は,仙台市八木山動物公園で19年間飼育されたホッキョクグマ♂に肝細胞癌の一例を経験し,若干の知見を得たので,その概要を報告する.
発症個体の来歴
発症したホッキョクグマThalarctos maritinusは,推定年令33才の雄で,1965年9月30日来園し,1984年10月14日死亡した.飼育期間は19年である.
検査の方法
血液検査
血液は死亡直後に採取し,各検査に供した.血球計算は計算盤法,血球容積はヘマトクリット法,血清総蛋白量は屈折計法,白血球百分比はギムザ染色血液塗抹標本によりそれぞれ検査し,その他の項目については,フジサワアキュスタットシステムおよび外部の検査機関に依頼して行なった.なお,血清蛋白電気泳動とLDH-A1P.Y-GTPの各アイソザイム分画は,セルローズアセテート膜を支持体として使用している.
病理学的検査
剖検の後,各臓器組織を10%ホルマリン液にて固定し,常法に従ってパラフィン包埋切片を作製,ヘマトキシリン・エオジン染色や必要に応じてスタインのヨード染色を施して組織学的検査に供した.
Table 1 Hematologic Values and Serum Bioche-mical Values
検査成績
臨床所見
1983年2月頃から削痩が目立ちはじめ,翌1983年の初め頃からは腹囲膨満が認められ,腹水の貯留が示唆された.気温の上昇と共に,食欲不振・元気消失・倦怠・嗜眠等が見られるようになり,同年5月下旬からは,体力の衰えが目立ったため屋外展示を休止した.その後も横臥嗜眠することが多く,大きな変化のないまま経過したが,10月9日食欲廃絶・元気衰沈・起立不能となり,10月11日午後12時30分死亡した.
この間,経口投薬により対症療法を行なった.その主たるものは,経口補液用電解質蛋白質製剤・肝機能改善 賦活剤・強心利尿剤・各種ビタミン剤・抗生物質等で,飲水や餌に添加して与えた.
血液検査所見
検査結果をTable1,Fig.1,2,3,4にそれぞれ示す.
血液学的検査では,RBC,Ht,HDの著しい減少から貧血が確認されたほか,WBCの転度な増加・好中球の増加と核の左方移動が認められた.
血液生化学的検査では,C.C.L.F反応が強陽性を示し,総ビリルビン・BUN・SGOT・SGPT・ɤ-GTP・AIP・LAP・LDH等が増加あるいは著増しており,肝疾患の存在を示唆していた.
血清蛋白分画では,アルブミンの減少とɤグロブリンの増加傾向がみられた.
LDHザイモグラムでは,LDH5が最も活性度が高く,ɤ-GTPザイモグラムでは,α1グロブリン位やα2グロブリン位に活性帯が認められ,AIPザイモグラムでは,α2βグロブリン位とβグロブリン位にそれぞれ活性帯がみられ,AIP5(小陽性)が主体を占めていた.
Fig.1 Electrophoretic Pattern of Serum Protein
Fig.2 Serum LDH Zymogram
Fig.3 Serum ɤ-GTP Zymogram
Fig.4 Serum AIP Zymogram
泳動位置 α1,α2,α2β,β
熱失活後 α2β,β
フュニルアラニン阻害(-)
総活性22.7 K.A.U.
熱失活率30%型判定 AIP 1, AIP 2, AIP 3,AIP 5(main)
剖検所見
栄養状態不良・腹囲膨満・黄疸が認められ,腹腔内には血性腹水23ℓが貯留していた.
肝臓には大小様々な腫瘍性結節が多発し,これらは肝臓表面から半球状に突出あるいは不整に隆起し腸間膜との癒着も見られた.肝臓の各葉に見られた腫瘍性結節は,次のようなものであった.左葉では,外側内側両葉共に,固有肝組織はわずかに辺縁性に残存するのみで,境界明瞭な黄白色~ウグイス色の軟調な巨大腫瘍結節が増殖していた (Fig.5).方形葉では,結合織により小葉状に分割された腫瘍組織がほぼ全域を占めており,出血が著しく,その中心は乳白色壊死していた(Fig.6).右葉では,直径30mm~50mm大の境界明瞭な柔軟で出血を伴った結節が多発していたほか,内部に透明な漿液様物質を容れた大小の嚢胞も散見され,また,固有肝組織は肝硬変像を呈していた.尾状葉では,肝硬変を呈する実質内に乳白色~黄白色の小豆大~大豆大の結節が散見された (Fig.7).以上のような腫瘍性結節の増殖により,肝臓は元来の形態を失って巨大化し,重量17.2kgに達していた.
胆嚢内には,粘性のある茶褐色胆汁が少量と,表面が平滑で一部に陥凹のある大豆大の濃緑色胆石が2個存在していた.これら胆石は硬く割面は層状模様が明瞭で,いわゆる混合石16)と判定された.
大網には,転移巣とみられる200×200×150mmの巨大な結節が形成されており,肝方形葉と帯状の結合織で連絡していた.この巨大結節は,周囲を多数の栄養血管が分布した厚い結合織性の被膜で被われ,その割面は肝臓の方形葉のそれにほぼ一致していた(Fig.8).
Fig.5 A cross section of the left lobe containing a largily proliferated mass.
Fig.6 A cross section of the quadrate lobe. The most part of the lobe is occupied by a proliferated, hemorrhaged and necrotic mass.
Fig.7 A cross section of the caudate lobe showing the cirrhotic change and containing a small yellowish white node (arrow).
Fig.8 A cross section of a metastatic mass of the large omentum. It has similar appearance to the lesion of the quadrate lobe.
Fig. 9 A histological section of the quadrate lobe. Solid tumour cells sre pleomorphic. H. E stain,×40
この他の病変として,軽度の気管支肺炎が認められた.
病理組織学的検査所見肝臓の結節部分では,ほぼ共通して次のような所見が認められた.
結節を構成する腫瘍細胞は,索状あるいは充実性に配列し,細胞質の好酸性顆粒の明瞭度および量とも変化に富み,形態的にも立方状・円柱状・円形・楕円形・紡錘形と様々で, 同様に核も大小不同・円形・不整円形,楕円形と多形性を示し,淡明で核仁の明瞭なものから核色質の豊富なもの,核分裂像なども見られ,異型性が明瞭であった(Fig.9,10).
腫瘍細胞間の接着性は部位により多様であったほか,壊死融解・出血なども著明で,漿液様物質を容れた嚢胞となっている部分も見られた.
腫瘍性結節以外の肝実質では,肝細胞は腫大感があり,グリソン鞘ではリンパ球を主体とする炎症性細胞浸潤と結合織の増殖が著明で,これらは隣接するグリソン鞘とも互いに連絡し,幅のせまい間質を形成して肝実質を偽小葉状に包囲し,乙型肝硬変4) 16)様の組織像を呈していた.
大網部の結節は,肝臓の腫瘍性結節とほぼ一致する組織像を呈したが,腫瘍細胞間の接着性が失われる傾向が強く,多核の巨細胞も出現していた(Fig.11)
肝臓および大網部の腫瘍組織をスタインのヨード染色法で検索した結果, 両者の腫瘍細胞内に胆汁色素が証明され,これら細胞が胆汁産性能を持ち, 肝細胞由来であることが確認された (Fig.12).
以上の所見から本例は,病理学的に肝細胞癌と診断された.
考察
肝細胞癌は,柔らかい実質性の腫瘍で,肝内に大小様々な多数の腫瘤を形成し,その形態からビマン型,結節型塊状型などに分類されている12).腫瘤は出血・変性・壊死などに陥る傾向が強く,そのため暗赤色・黄色 ・白色さらに胆汁産生とそのウッ滞により緑色を呈するなど多彩な色調を呈すという12) 16).組織学的には,基 本的に正常肝組織の構造を保つが,その分化の程度は極 めて多様で, 組織構造や構成細胞の細胞異型度は多彩で あることが多いといわれる12) 14).同様に,腫瘍細胞の細胞学的又は機能的表現も様々であるが,胆汁産生能を有することは肝細胞癌の診断を確定する条件となってい る12).
今回の発症例では,肝臓および大網の結節は,肉眼的に結節型あるいは塊状型を呈し,出血・壊死・胆汁色素沈着等がみられ,組織学的には索状又は充実性の配列をした異型性を有する腫瘍細胞からなり,更にそれらには胆汁産生能が認められるなど,上述した肝細胞癌の特徴を具備していた.
人では,肝細胞癌には肝硬変が併存することが多く10) 12) 16),症例のほとんどが肝硬変を基盤に発生するといわれる15) 16).また,肝硬変の発症には,肝炎ウィルスが極めて重大な原因的役割をしているといわれている10).一方家畜では,肝細胞癌と肝硬変の併存は稀といわれている14).今回の発症例では人のそれに類似して肝硬変を随伴していたが,その成因は明らかではない.
Fig. 10 A histological section of the left lobe.Remarkable pleomorphism of tumour cells and mitotic figure are found (arrow). H. E stain, ×200
Fig. 11 A histological section of a mass of the large omentum. The tumour cells tends to be isolated one another and giant cells appear (arrows). H.E stain, ×100
Fig. 12 A histological section of the quadrate lobe. An arrow shows bile pigment in a tumour cell. Stein's Iodine stain,× 1,000
人,家畜,いづれに於いても,肝細胞癌は肝内での増殖と進展による正常肝組織の破壊傾向が強く,遠隔転位は一般に少ないと言われている12) 14 ) 16).
本例では,大網部に巨大な転移巣がみられたが,これは接触転移によるものと考えられる.
人の肝細胞癌の場合,血液生化学的検査上,血清膠質反応の陽転・総ビリルビンの増加,GOT・GPT・γ-GTP・AIP・LAP・LDHなどの肝機能関連項目の各値の増加又は著増1)2) 5) 7) 13)が認められ,その末期にはGOTの上昇は著しく,一般にGOT>GPTの関係が認められるという7).LDHザイモグラムでは,原発性肝癌の場合LDH4とLDH5の上昇とLDH4<LDH5の関係が見られ5),γ-GTPザイモグラムでは,αグロブリン位に活性帯が認められるという2).AIPザイモグラムは,正常の人血清では肝由来のAIP2(α2 グロブリン位)が主で,α2>α2βのことが多いと言われ,原発性肝癌の際AIP2が上昇するという5).また,小腸由来のA1P5(βグロブリン位)は肝硬変患者の40%に出現7)13)するといわれ,更に友田17)によれば,肝癌の際に高率に検出されるという.
ホッキョクグマの血液学的ならびに血液生化学的性状に関する報告6)11)は少なく,比較検討資料に乏しいが,本例では, C.C.L.F.の陽転,総ビリルビンの増加,GOT・GPT・AIP・LDH・LAP・γ-GTP の著増又は増加6) 11), GOT>GPTの関係などが認められた.更に,LDHザイモグラムでは,LDH5が最も活性度が高く, γ-GTPザイモグラムでは,αグロブリン位に活性帯が認められ,AIPザイモグラムでは,A1P5が主に出現していた.これらの検査成績は,人の肝細胞癌あるいは原発性肝癌の際に認められる変化に類似したものであり興味深い.
本例では他に,低血糖・BUNの増加などがみられたが,これらは肝細胞癌の著しい増殖と随伴した肝硬変にもとづく合成代謝機能の低下や異化排泄能の低下5) 16)によるものと考えられ,また,著明な貧血は血性腹水の大量貯留を反映したものであろう.
先にも述べたように,ホッキョクグマに関する血液検査データは乏しく,充分な検討はできなかったが,今回得られた諸検査の結果が今後の野生動物診療の一助となれば幸いである.
終りに,本例の検索に際し多大なご協力を頂いた本園職員の皆様に心より感謝致します.また,本稿の校閲をして下さいました東北大学医学部第一解剖学講座の堀口正治先生に深謝致します.
要約
推定年令33才のホッキョクグマ♂が,肝細胞癌により1984年10月9日死亡した.
臨床的には,長期にわたって削腹・腹囲膨満・元気消失・嗜眠・食欲不振などが認められた.
血液検査では,重度の貧血・C.C.L.F.の陽転・総ビリルビンの増加・BUNの増加,GOT・GPT・γ-GTP・ AIP・LAP・LDHの活性の上昇が確認された.また,LDHザイモグラムではLDH5が最も活性化しており,γ-GTPザイモグラムではαグロブリン位に活性帯が認められ,AIPザイモグラムではAIP5が主体を占めていた.
剖検では,多量の血性腹水の貯留と,肝硬変が併存した肝における大小様々な腫瘍性結節の増殖,腫瘍の大網への転移が観察された.
組織学的にこれら結節は, 索状又は充実性に配列した異型性のある腫瘍細胞からなり,更にそれらには胆汁産生が確認され,本例は肝細胞癌と診断された.
今回得れた諸検査の成績は,人の肝細胞癌に見られる諸変化に類似し興味深い.
文献
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SUMMARY
A male polar bear estimated to be 33 years old died of hepatocarcinoma on 9th October 1984. The animal had a long history of weight loss, abdominal distention, weakness, somnolence and anorexia.
The blood examination confirmed serious anemia, positive reaction of C. C. L. F. test, increased levels of total bilirubin and BUN, high activity of serum GOT, GPT, ɤ-GTP, AIP, LAP and LDH. LDH5 was the highest in the LDH zymogram, the ɤ-GTP zymogram showed high activity in the zone of a-globulin and AIP 5 had the major part in the AIP zymogram.
Grossly, accumlation of bloody ascites, proliferation of various size masses in the liver accompanied with cirrhotic liver and a metastatic mass at the large omentum were observed.
Histologically, the cells constituting the masses in the liver and the large omentum showed pleomorphism, trabecular or compact type structure and bile production. From these histological findings, this case was diagnosed as hepatocarcinoma.
It is very interesting that this case of hepatocarcinoma had much the same characteristics as human hepatocarcinoma.
(1985年8月2日原稿受付)
