マンボウの名称に関する歴史的考察
発行年・号
1992-34-04
文献名
飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
(A Historical Discussion on the Names of Ocean
Sunfish,Mola mola)
所 属
町立宮島水族館
執筆者
山下欣二
ページ
80〜83
本 文
広島市安佐動マンボウの名称に関する歴史的考察
山下欣二(町立宮島水族館)
A Historical Discussion on the Names of Ocean
Sunfish,Mola mola
Kinji Yamashita (Miyajima Aquarium,Hiroshima)
宮島水族館では1992年よりマンボウの飼育展示を行い上々の人気を博している.一般の人々にとってマンボウという魚は,その切り身さえも目にする機会は少なく,まして泳いでいる姿を見ることは稀なことである.ところが反面,マンボウという名前だけは知っているという人は多いものである.これは北杜夫の随筆,ドクトルマンボウシリーズによって世に広まったという一面もあろうし,また海上で昼寝をするのんきな魚という,いかにも親しみやすい名前であることも一因であろう,著者はマンボウという名称の成立過程を知るために,明治時代以前に世に出た本草書,物産帳,料理本そして辞典日記類から,マンボウに関する記録を拾い出し整理したうえで,現行する名称と比較検討した.
出典古文献
文献名 著者名 成立年代
1.書字考節用 集不詳 文明年間(1469-1487)
2.料理物語 不詳 寛永二十年(1643)
3.毛吹草 松江重頓 正保二年(1645)
4.梅村載筆 林羅山 万治二年(1659)
5.本朝食鑑 人見必大 元禄十年(1697)
6.大和本草 貝原益軒 宝永六年(1709)
7.和漢三才図会 寺島良安 正徳三年(1713)
8.備陽記 石丸定良 享保六年(1721)
9.御領内産物留 不詳 元文元年(1736)
10.日東魚譜 神田玄泉 寛保元年(1741)
11.阿蘭陀本草和解 野呂元丈 寛保元年(1741)
12.採薬使記 阿部照任 宝暦八年(1758)
13.海乃幸 勝竜水 宝暦十二年(1762)
14.雑説嚢話 林 自見 明和元年(1764)
15.随観写真 後藤梨春 明和八年(1771)
16.料理伊呂波包丁 不詳 安永二年(1773)
17.雪のふるみち 津村淙庵 天明八年(1788)
18.料理早指南 不詳 享和元年(1801)
19.筆のすさび 橋 泰 文化三年(1806)
20.飲膳摘要 小野蘭山 文化三年(1806)
21.水府志料 小宮山楓軒 文化六年(1809)
22.占春斎魚品 曾 槃 文化六年(1809)
23.桃洞魚譜 小原良貴 文化十一年(1814)
24.日養食鑑 不詳 文政三年(1820)
25.甲子夜話 松浦静山 文政~安政年間(1821-1857)
26.兎園小説 滝沢馬琴 文政八年(1825)
27.翻車考 栗本丹州 文政八年(1825)
28.新編常陸国誌 中山信名 天保年間(1829-1844)
29.魚鑑 武井周作 天保二年(1831)
30.江戸流行料理通 不詳 天保五年(1834)
31.紀伊続風土記物産 仁井田好古 天保十年(1839)
32.魚貝能毒品物図考 浪華青苔園 嘉永元年(1848)
33.熊野物産初志 畔田伴存 嘉永元年(1848)
34.水族志 畔田伴存 嘉永二年(1849)
35.提醒紀談 山崎美成 嘉永三年(1850)
36.魚仙水族写真 奥食旅行 安政二年(1855)
37.因伯産物葉録 平田景順 万延元年(1865)
38.加能越三州山海異品 不詳 慶元年(1865)
39.水産小学 河原田盛美明治十五年(1882)
40,水産図解 藤川三渓 明治二十二年(1889)
名称
上記古文献の中でマンボウをかな文字で表現している名称,漢字による表現でも明らかに読みうるものを,出現年代順に示す.各名称に付した数字はその名称が記されている文献番号であり,その呼称地が明記されている場合,また物産帳や地誌類の記載から呼称地が明らかな場合は,その地名を文献番号の後にかっこで示した.
ウキキ
1.2.3(常陸水戸).4(関東)5(常奥).6(奥州常州).7(奥州常州).9(常陸).10.11.12(奥州)13.14(常州).15.16.18.19(奥州常州),20.22(水戸),23.24.25(東海).26(常陸).27(常州岩城).28(常陸).29(常陸).30.31.34.35(陸奥国岩城).36.37.38(東海).40(東海).
マンボウ
6(奥州).8(備前).13.21(水戸).22.27.32.33(熊野).34.35.39.40.
マンホウ
7.23.
オキナ
10.
マンザイラク
10.27(相州).
ナンボウザメ
17(松前).
オキマンザイ
27(佐州),34(安芸国広島).
シオリカ
27(北国).
キナボ
27(松前).
シキリ
27(薩州).
マンハウ
31.
ウキキサメ
38(東海).
次に漢字による表現を示す.その漢字の読みが示されている場合は,その読みを出典文献番号の後にかっこで示した.
浮亀
1(ウキキ),3.10.18.22.26.30.
浮木
2(ウキキ),5.6.19(ウキキ).27.
木査魚
5.7(ウキキ),13(ウキキ),14(ウキキ),15(ウキキ).22.23(ウキキ).27.29(ウキキ),32(ウキキ),34(ウキキ),36(ウキキ),40.
宇岐岐 5.10.28. 雪魚6.10.19.23.
満方魚 7(マンホウ). 宇岐木 7(ウキキ).
万宝 8.27.40. 万歳楽10.27.
翻車魚 22.40(ウキキ). 斑車魚 22.
満肪 22. 浮亀鮫 25.
翻車 27. 浮木鯊 27.
志於里加 27. 万宝鯊 27.
沖万歳 27.34. 岐奈房27.
止吉利 27. 査魚 28(ウキキ),31(ウキキ).
鳥紀紀 35(ウキキ). 牛魚35(ギウギョ).
鮔䱹 38(ウキキ).
名称の考察
ウキキ
ウキキという名称は最も早く最も多く出現する.その呼称地は陸奥,常陸に限られていたようで,『甲子夜話』にある「東海ノウキキト云ル魚ハ」の東海は相模や伊豆ではなくもっと東関東や東北を指しているのであろう.現在も東北地方ではウキキという名は広く通用する.
ウキキの語源は浮き木である.『梅村載筆』に「其肉ヲキリトレドモ魚其イタミヲ知ラズ」とか,『和漢三才図会』に「性魯鈍ニシテ死ヲ知ラズ浮遊ス」とあるように,マンボウは泳ぐことも死ぬこともなく浮いていると信じられていた.そのため『採薬使記』に「浮木ノ水面ニ有ガ如シ,故ニ名ツク」,『翻車考』に「形如浮木片,古来以木査称之」とあるように,流木の意味でウキキと呼ばれていた.栄川(1974)は浮魚の字を充て,キを魚の意としているが,これは誤りであろう,漢字表現で最も多い魚の種はイカダの意である.
漢字で浮亀と示されている場合,ウミガメの一種と考えられていることが多い.『日東魚譜』に「浮亀通称,人以亀類為,此物時海上干浮,形亀背如而骨無,皆肉也故名」とある,つまり海上に浮かぶカメで骨がなく肉ばかりであると言うのである.この浮亀という字を用いているのは節用集,毛吹草,料理早指南など産物帳や料理本に多い.つまりこれは動物名ではなく製品名なのである.当時マンボウは全国の海浜で漁獲され漁村では食用に供されていたであろうが,都市生活者がこれを口にしたのは水戸や江戸に限られていたようである.『本朝食鑑』に「其腸醢作糠作,或乾曝而之器,国守赤之貢献」とあるように,マンボウの腸の塩漬けや糠漬け,それに乾燥品が常陸水戸の名物として江戸に送られていた.
ウキキサメという名はその皮がザラザラしているところからであり,本来サメというのは沙魚であって,マンボウがサメの一種と考えられたのは当然と言えよう.
マンボウ
マンボウという名称が初めて見られるのは『大和本草』であり,これに「マンボウ,奥州ノ海ニアリ」また「ウキ木,奥州常州ノ海ニアリ」とあり,マンボウとウキキを別物として扱っている.著者である貝原益軒は筑前の人であるから,当時玄海地方ではマンボウと呼ばれていたのであろうが,それが常陸や陸奥のウキキと同一物だという自信がなかったため,別項を設けて記載したのであろう,これについては『桃洞魚譜』に「大和本草ノウキキトマンホウヲ別條ニ出誤ナリ」とか『紀伊続風土記』に「ウキキトマンホウヲ二名別物トスルハ非ナリ」との批判もあるが,これは貝原益軒に対して酷であろう.備前や熊野ではマンボウと呼ばれていたことは確実であり,西日本ではこの名は広く通用していたのであろう.『和漢三才図会』に「満方魚,俗伝宇岐木」,『海乃幸』に「ウキキ木査魚,俗満方」などとあるように(図1),江戸初期にはウキキとマンボウが標準名的なものになっていた.これは『水府志料』にマンボウの名が見えるように,ウキキという名の発祥地である常陸でも,マンボウという名称が用いられていることからもうかがえる.
マンボウの語源については『和漢三才図会』に「状エイニ類而方,故ニ満方魚ト名ク」とあり絵図を示している(図2).つまり体が円いから満方だというのであるが,寺島良安は形がエイに似ているという話に引きずられて,その図はほとんどエイになっている.彼はマンボウを見たことがないのであろう,栄川2)もマンは円の意,ボオは魚の意の転訛語としている.一方『翻車考』には「此魚無尾臀円而似荷包様,児童所佩符囊俗謂萬宝,状相類故有此名平」,つまり子供たちが持っているハスの葉の袋を萬宝というが,これに形が似ているからマンボウというのかも知れないというのである.今となってはどちらが正しいのか判断する材料がない.
ウキキが魚名としても製品名としても用いられたことは,マンボウについても同様である.『占春斎魚品』に「浮亀之属,俗作木査魚,腸日満胞」と,ウキキの腸をマンボウとしている.中にはウキキとマンボウの混同を激しく非難している者もある.『堤醒紀談』に「世ニ鳥紀々トイフモノハソノ腸ニシテ,土人・百葉(ヒャクヒロ)ト云,サルヲ他邦ノ如キハ満方ト云モノナルヲ知ラズシテ,タダ鳥紀々トノミ称スルハ訛レリ」とある.百葉は百尋と書くべきもので,本来鯨の腸を指す語であって,それがマンボウの腸にも転用されている.『本朝食鑑』にも「其腸丈除,呼百尋号」とある.
マンザイラク
『日東魚譜』に「若ン動揺スレバ,則チ笠ヲ以テ万歳楽ヲ招呼バ即是ノ如シ,又万歳楽ト名ク」とある.つまりマンボウが暴れた場合,マンザイラクマンザイラクと唱えれば静かになるところから,マンザイラクと呼ぶというのである.万歳楽とは危険な時や驚いた時に唱える厄よけの語で,くわばらくわばらなどに相当する,オキマンザイもこれから派生した名称である.このマンザイラク,オキマンザイという名は相模,佐渡安芸など広い地域に見られ,これがマンボウに転訛していった可能性もある.
図1 『海乃幸』の「ウキキ」
図2 『和漢三才図会』の「木査魚」
図3 『日東魚譜』の「雪魚」
キナボ
現在北海道でキナンボ1),青森県でキナッポー,キノッポー3)と呼ばれる.古文献では『納車考』に「岐奈房,松前」とある.これはおそらく木の棒の転訛であり,語源としてはウキキに通じる.また『雪のふるみち』に「松前ワタリニハ,オリオリ出クルウオニテ,人モクイモノニス,ナンボウザメトイヘルモノノヨシ」とあり,ここではマンボウとキナボが混同されてナンボウザメとっている.
シキリ
『翻車考』に「止吉利,薩州」とある.現在も鹿児島地方でシキリ,喜界島でシチャーと呼ぶ(日本魚類学会:1981).これはマンボウに尾が無いように見えるところから,尻切れの意で呼ばれるのであろう.
シオリカ
『翻車考』に「志於里加,北国」とある.志於里加をそのまま読めばシオリカとなるが,現在これに相当する名称はない,当時の北国といえば石川,新潟の各県であるが,富山地方にクイザメという名が残っているだけでシオリカに通じるものはなく1),この読みが正しいものか,また正しいとしてもその語源については見当がつかない.なおクイザメとは杭較のことであり,海に浮かぶ棒杭のような魚の意味で,これもウキキに通じる.
雪魚(ユキナメ)
『大和本草』に「北海ニ雪魚アリ,方一丈(中略)是浮木ノ類乎」とあるほか,マンボウに雪魚の字を充てる文献は多い.しかしこの雪魚という字に読みは与えられておらず,筆者が現在の地方名からュキナメという読みを与えたものである.日本方言大辞典(1989)によると新潟県ではユキナメ雪滑,ユキイカダ雪筏と呼ばれているが,ユキイカダはウキキに通じる,ユキとはマンボウの白い肉や腸を表現しているのであろう.『日東魚譜』では浮亀,万歳楽,雪魚の漢字とウキキ,マンサイラク,ヲキナという呼称を示しているところから(図3),雪魚にオキナという読みを与えているふしがうかがえる.オキナとは北海の大魚であり,普通鯨類と解釈されている.
最後に翻車魚,斑車魚,生魚,鮔䱹などの漢字であるが,これらは中国の文献にある魚のどれがマンボウに相当するかあてはめたものであり,日本での名称を考察する上ではあまり意味をなさない,ただ現在中国ではマンボウを翻車魚と書いて,Fan-che-yuと呼ぶ1)
引用文献
1) 日本魚類学会(1981):魚名大辞典,834pp.三省堂,東京.
2) 栄川省造(1974):魚名考,532pp.甲南出版社,神戸.
3) 尚学図書(1989):日本方言大辞典,1194pp.小学館,東京.
〔1993年3月22日受付,1993年8月24日受理〕