鯨類飼育の歴史と今後の展望

発行年・号

2002-43-02

文献名

飼育下グラントシマウマの発情日数と発情周期
(The History of Cetaceans in Captivity and Their Future)

所 属

鴨川シーワールド

執筆者

鳥羽山照夫

ページ

35〜44

本 文

広島市安佐動鯨類飼育の歴史と今後の展望

鳥羽山照夫

鴨川シーワールド

The History of Cetaceans in Captivity and Their Future

Teruo Tobayama

Kamogawa Sea World

鯨類飼育の歴史
鯨類の飼育は,早い時代から偶然の機会に捕まえられたイルカの仲間が一時的に飼われていたようで,紀元1世紀のローマ皇帝クラウディウスの時代に,網で仕切った港の中で人々の観覧に供されたシャチ(図1)や15世紀の初めに個人的コレクションとしてフランスで飼われたネズミイルカの例(Randall and Mead,1999),および17世紀にイタリアのリミニで3日間生きていたイルカの例(ステニュイ,1973)などがみられる.
しかし,動物園や水族館のような動物の飼育展示を目的とした施設で飼育されたのは,1850年代にデンマークのコペンハーゲン動物園で飼われたネズミイルカ(Phocoena phocoena)が最初といわれている.そしてその後の記録としては,1860年代にはセントローレンス河で生け捕られた6頭のシロイルカ(Delphinapterus leucas)がニューヨークで飼われた記録や1870年代に漁具によって捕まったガンジスカワイルカ(Platanista gangetica)をバスタブに入れてインドのカルカッタまで運び飼った記録および1873年にはフランス・アルカコンの生物研究所でバンドウイルカ(Tursiops truncatus)を数ヶ月飼育した記録などがある.また,1877年と1878年の両年にはアメリカ西海岸のラブラドールとニューファウンドランドで生け捕られた2頭のシロイルカが大西洋を渡ってイギリスのウエストミンスター水族館で飼育されるという,この時代にとっては画期的な海上長距離輸送もおこなわれている(シュライパー,1984).この輸送は木箱の中に海藻をベッドのようにしきつめ,その上にシロイルカを乗せて船で5週間かけて大西洋を渡るという,現代においても難度を伴う長距離輸送であったが,残念ながらいずれの個体も短命に終わっている.1914年にはアメリカ・北カロライナ沖の漁網から救出された数頭のバンドウイルカがニューヨーク水族館で飼育され,初めてイルカの集団飼育が試みられた記録もある.
このように鯨類を飼育する試みは,北東アメリカやヨーロッパにおいて始められたが,これらの飼育された鯨類は研究目的として使用されたものもあるものの,主たる目的は好奇心を満足させる展示に止まっていて,飼育環境も現在のような大型水槽による本格的飼育ではなかった.鯨類を専用大型水槽で飼育する近代的飼育法が取り入れられたのは,1938年にアメリカ・フロリダ州のセントオーガスチンに,巨大な水量を有するイルカ飼育専用水槽を備えたマリンスタジオ(後年マリンランドオブフロリダと改名)が建設されたのが最初である.そして,第二次世界大戦後の1960年代にはアメリカをはじめイギリス・ヨーロッパ諸国・日本などにイルカの飼育施設が続々と作られ,今ではイルカの飼育施設は,南極を除く全ての大陸において見られている.
これらの施設で飼育された鯨類は,1850年代にデンマークのコペンハーゲン動物園でネズミイルカが飼育されてから1999年までの約150年間に,9科50種(表1)が飼育されている(鳥羽山,1997;Randall and Mead,1999).これは現存する種類11科82種のうちの約61%にあたり,ヒゲクジラ類とハクジラ類別では,ヒゲクジラ類は4科13種のうち2科4種(約31%),ハクジラ類は大型ハクジラ類の4科25種のうち3科10種(40%),小型ハクジラ類,いわゆるイルカ類では3科44種のうち3科36種(約82%)が飼われている.ちなみに日本における飼育例をみてみると,約100年の飼育の歴史の中で現存種のうちの約35%にあたる7科29種が飼育されていて,ヒゲクジラ類は1種(約1%),大型ハクジラ類は3科5種(約6%),イルカ類は3科23種(約28%)となっている.
なお,これら鯨種の飼育開始年代をみてみると(表2),鯨類の飼育が試みられた1850年代から1870年代には,大型種小型種を問わず座礁した生存個体や生け捕りやすい河川などに生息する種類が思いついたように飼育されているが,1930年代にはアメリカにマリンスタジオが完成したのが契機となって,新たなる種類の飼育が試みられている.そして戦後のイルカ飼育施設の世界的増加にともなって,1950年代から1970年代にかけては海洋に生息するイルカの飼育に目が向けられ,新たに22種類のイルカが飼育種として加えられた.現在,水族館で飼育されている種類はこの時代に飼われた種類がほぼ定着している.しかし,1980年代以降の約20年間にはイルカ類の新たな種類の飼育はほとんど見当たらず,ヒゲクジラ類・ハクジラ類の大型種が,偶然のチャンスも含めて飼育が試みられているのが目立っている.この傾向は今後の鯨類飼育の方向性を示唆しているように思われる.
このように多くの種類の飼育が試みられてきたが,全ての種類が数年間にわたる長期飼育ができたのではなく,ヒゲクジラ類では約1年間飼育されたコククジラ(Eschrichtius robustus)とミンククジラ(Balaenoptera acutorostrata)以外の他の種類は全て数週間以内の生存に止まっている.またハクジラ類においては,大型ハクジラ類ではイッカク科のシロイルカを除いたほかは生存日数は短く,ほとんどの種類が数日間と短命で,最も多く飼育が試みられたイルカ類でも,数年間の長期飼育が可能な種類は,カワイルカ科2種,ネズミイルカ科2種,マイルカ科17種の3科21種(現存種の約25%)にすぎない,この主な理由は,鯨類は完全に水界適応をしているために,生け捕りに始まり飼育水槽への搬入に至る過程や自然界の広域環境から飼育水槽という限定された閉鎖環境への急激な環境変化などから生ずる精神的・肉体的ストレスが主要因となっているためである.最近では,これら生命に支障を与える要因の改善は,鯨類飼育において特に求められ,技術的開発や飼育環境の改善に多くの飼育技術者たちが日々努力を払っていて,その成果も認められはじめているので,大型鯨類の姿を水族館で観る日も近いものと期待している.
しかし,このように発展してきた鯨類の飼育も,鯨の保護から生まれたイルカの飼育に反対するアンチ・デルフィナリウム運動が,1970年代から80年代にかけてヨーロッパで始まってからは,鯨類の飼育を止める施設も現われはじめた.特に劣悪な環境下で飼育されていたイギリスのイルカ飼育施設はこの運動の影響を強く受けて,30施設ほどあった施設は1994年には皆無となった.この影響はオーストラリアやニュージーランドにもおよび,この両国にはイルカ類の既存飼育施設は存在するものの,新しく作られた厳しい飼育基準ともあいまって新たな施設の建設はなされていない.しかし,このアンチ・デルフィナリウム運動はイルカの飼育施設にとってマイナス結果だけを生じさせたのではなく,イルカ類を好環境下で飼育するための適正な水槽規模や飼育環境についての基準作りの動きを各国に芽生えさせた.


図1 紀元1世紀のローマ時代に飼われたシャチの想像的描写(アメリカ・マサチーウセッツ・ケンドウル鯨博物館所有)

表1 飼育された鯨類(1999年現在)

表2 鯨類の飼育開始年代


日本の鯨類飼育の歴史
日本における鯨類の飼育は,アメリカやヨーロッパ諸国よりも遅れ,20世紀前半から始められている.我が国で最初に鯨類を飼育したのは,1930年にバンドウイルカを網で仕切った小さな入江で飼った静岡県の三津にあった中之島水族館(現伊豆三津シーパラダイス)で(中島ら,1978),1934年には甲子園の阪神パークでカマイルカを飼育していた記録(小川,1973)や,1935年には同じ阪神パークで和歌山県太地から船で運んだゴンドウクジラを約660㎡の楕円形の屋外プールで飼育した記録(鈴木,1994)も残されている.ただし,これら両施設におけるイルカ類の飼育は,1941年の日本動物園水族館協会の飼育動物リストには,すでにイルカ類の名が見あたらないことから,長期飼育までには至らなかったようである(鈴木,1994)また世界でも数少ないヒゲクジラ類の飼育例として,1938年に中之島水族館でコイワシクジラ(Balaenoptera acutorostrata)を世界最初に飼育した報告(中島ら,1978)もある.
しかし,本格的にイルカを含めた鯨類の飼育が現在のように盛んになったのは,1957年にアメリカ西海岸のマリンランドを模倣して完成した,水量5,000t,水深6mのスタジアム風の形態をした江ノ島マリンランド(堀,1994)の影響が大きい,そして,1950年代からはじまった観光ブームと1949年から1975年にかけて多くの動物園が新たに開かれた日本における動物園界の第二の黄金期に歩調をあわせるように,各地に水族館が増加し鯨類の飼育施設も建設されはじめた.特に1975年代からの15年間には沖縄国際海洋博覧会(1976)でのイルカの飼育も促進剤となり,水族館の新設数よりも多い鯨類飼育施設が作られ(図2),1970年には42の水族館に対して鯨類を飼育している施設は11(対水族館率約26%)であったのが,1980年以降には水族館の半数が鯨類飼育施設を有するまでになり,1999年現在では水族館65館の約60%にあたる38館が鯨類の飼育施設を備えている(日本動物園水族館年報,平成11年度),勿論,この鯨類飼育施設の増加は,飼育鯨類の種類や頭数にも影響し,種類数は1970年からの約30年間に新たに飼育が試みられた種類は4種類だけであるが,頭数については鯨類の飼育施設の増加とともに急増し,この30年間には飼育頭数も300頭以上の増加がみられ,1990年現在では飼育鯨類の種類と頭数は13種445頭となっている(表3).なお,1975年代からの15年間に増加した鯨類の飼育施設は,水族館を訪れる人々からのニーズに対応した集客対策として水族館の増改築時に新たに作られた施設が殆どである(図3).このように我が国の鯨類飼育施設の時代的変遷をみてくると,我が国で鯨類の飼育が早くからおこなわれ,戦後急速に盛んになってきたのは,今から約200年前の元禄年間からおこなわれている伊豆,能登,佐賀,長崎,岩手などの各地でみられたイルカ漁業の存在が大きく(松浦,1943),その結果,イルカを含む鯨類の入手が容易であったことが主な理由としてあげられよう.このことは現在でも鯨類飼育がわが国において盛んにおこなわれている大きな要因となっていて,一部にみられるアンチ・デルフィナリウム運動とは裏腹に,日本の鯨類飼育は,中之島水族館などでイルカを飼育し始めた1930年代の創世期,近代的鯨類飼育施設である江ノ島マリンランドの完成した1956年代の開明期,沖縄国際海洋博覧会でのイルカ飼育展示が公開された1976年代の発展期を経て,今では鯨類飼育施設が各地に存在し,容易に鯨類と触れ合う機会が得られるようになった鯨類飼育の成熟期を迎えている.


図2 日本の水族館と鯨類飼育施設の年代別開館推移

鯨類の飼育と展示

鯨類の飼育は,飼育の創明期には入手の希少性と飼育技術の未熟のために,阪神パークのように簡単なショーらしきものをおこなった例もあるが,殆どの飼育施設での展示は,鯨類の泳いでいる姿を人々に公開することを主目的としていたようで,しかも,沼津の水族館でシャチを飼っているという話を聞き,現地を訪れたところ,シャチではなくハンドウイルカであった(小川,1973)との話が残っているように,飼育している鯨類の種類も定かでない時代でもあった.しかし,1938年に鯨類飼育の専用大型水槽(オセアナリウム)を有するマリンスタジオが建てられて,アシカ訓練の専門家であるアドルフ・フローンによって,イルカの自発的な行動が強化され,ショーとして組み立てられてからは,その優れた娯楽性と集客力が注目され,鯨類の展示はショースタイルの行動展示が主となって展開されはじめ,特に1960年代には世界中で見られるようになり現在に至っている.
日本においても,1957年に江ノ島マリンランドが完成し,イルカのアメリカ的ショースタイルによる行動展示が始まってからは,アメリカと同様にその娯楽性と集客力が注目され,現在までの約40年間に開館した鯨類の飼育施設のほとんどは,鯨類の展示としてショースタイルの行動展示を採用している.そして,1970年に日本で初めてアメリカのシアトルから長時間かけて鴨川シーワールドにシャチが空輸されてからは,その輸送方法は長時間輸送の参考となり,今まで日本で行われていたベッド式や担架吊り散水式の短距離用輸送方式に改善と改良を加える機会を与え長時間輸送においても肉体的・精神的ストレスの影響を受けにくい,担架に乗せた鯨類を水を張った箱型輸送箱に収容し水の浮力を利用して輸送するフローティング式が我が国でも取り入れられた.その結果,アイスランド,カナダ,ロシア,チリー,タイランドの諸外国からシャチ,シロイルカ,イロワケイルカ,カワゴンドウなどの鯨種が導入されるようになり,展示鯨種の一層の充実が図られた.この輸送方法の改善は,日本における鯨類の飼育および展示の進歩に大きな影響を与え,日本の鯨類の飼育展示の技術的水準を世界的水準にまで引き上げた.
一方,1972年にストックホルムで開催された国連人間環境会議の結果,鯨類に対する保護への関心が世界的に高揚し,1972年にはアメリカでは海洋哺乳類保護法が成立した.そして,その後,この自然保護思想の発達の影響は鯨類の飼育施設にまで拡大されて,アンチ・デルフィナリウム運動とともに鯨類のショーは鯨類の虐待に結び付くとの理由からショースタイルによる行動展示への批判も聞こえはじめた.鯨類展示としてのショースタイル展示については,ショー批判の声と類似した考えが水族館の人々の中に以前からないわけではなかった.それは,社会教育の場である水族館では,イルカのショースタイルの展示にみられる娯楽性は,展示動物についての十分なる解説がともなっても社会教育の場の展示形式としてはふさわしくないとする考え方である.この考え方については,ショーとはなにか,娯楽性とはなにかについて論じあう必要はあろうが,高まってきた保護思想と社会教育における娯楽性の否定の考え方の影響を受けて,最近では,まだ試行錯誤のようであるが,ショースタイルにとらわれない「ショーでないショー」の形式を鯨類の展示方式に取りいれようとする試みも認められはじめている.
しかし,ショースタイルを取りいれている鯨類の行動展示方式は,高い知能と優れた運動能力を紹介し,動物への親しみを感じさせ,面白く楽しいだけではなく,鯨類への知識と保護思想の普及にも大きく貢献しているとともに,高度な知識のみを学ぶ場や面白さのみを求める興業的な場ではなく,動物たちを公開展示し「楽しく学ぶ(エデュテイメント)」場を提供することを目的としている社会教育施設としての水族館の展示方式としては,教育性と娯楽性をそなえた優れた方法であるので,すでに多くの人々に受け入れられ定着していることからみて,今後も引き続き行なわれていくことであろう.


表3 飼育施設と鯨類飼育の推移

図3 日本の鯨類飼育施設の新設・増改築別による開館の年代別推移


鯨類の飼育と研究
広大な海洋に暮らす鯨類に関する生物学的研究は容易なものではなく,研究の困難さをともなうことはいうまでもない,ところが,鯨類の飼育,特にイルカの飼育が成功してからは,これらの鯨類を飼育する施設は,教育目的だけではなく,科学的研究の場としても多くの貢献を果している.鯨類の研究者としても知られていた東京大学医学部細川宏博士(1965)は「1938年アメリカのフロリダに海洋水族館ができてイルカの飼育に成功したことは,クジラ学ことにイルカ学における画期的な出発点となった.従来不明であった交尾,出産,授乳,睡眠などを始め,各種の行動があきらかにされたし,また実験的にイルカの感覚能力をいろいろ試験することもできた.」と水族館における鯨類飼育の評価と貢献度について評価している.また鯨類研究者として国際的に活躍された元鯨類研究所所長であった大村秀雄博士も「日本では研究用のイルカの飼育などは誠に困難で,ほとんど望み得ない.ただし,営業用の水族館であっても,そこで選ばれた資料は貴重である.戦後イルカに関する学問が大きく発展したが,それはイルカを大々的に飼育するようになったおかげである.」とイルカ類飼育のクジラ学への貢献度を前述の細川博士と同じように高く評価している(大村,1979).
鯨類の飼育施設における研究は,主として飼育が可能な小型歯鯨類を対象におこなわれていて,すでに分類,行動,繁殖,成長,感覚機構,食性,各種生理値などの分野にわたる報告がなされている.ただし,飼育下におけるこれらの研究成果は,環境温度,生活空間,動物数などが自然界の条件とは異なる人工的な閉鎖環境下での観察や実験から得られた成果であるため,鯨類の潜在的な行動様式や繁殖成長,感覚メカニズム,各種生理値などは自然界の生理生態を明らかにするのに役立つが,他分野の成果については参考程度に止まり,自然界における検証には結びつかないことが多いことも認識しておかなければならない.
しかし,野生動物に対する保護思想が高揚してきてからは,研究に使用する動物も非致死的な状態で使用することが求められ,研究経過を見守る社会の目も厳しさを増している.この風潮は鯨類の研究についても例外ではない,このような新たな時代をむかえた鯨類飼育施設は,非致死的状態で観察や実験ができる施設として,多分野にわたる研究者との共同研究の場として改めて注目を集めている.特に生息環境の悪化にともない絶滅の危機にある鯨種(図4)については,鯨類飼育施設は保護収容の場所としてだけではなく,それら鯨類の種保存のための研究の場としてもクローズアップされてきている.したがって,このような機会を得た鯨類の飼育施設はクジラ学発展のための新たな研究の場として多くの研究者から期待がかけられている.ただし,飼育担当者としては,とかく研究用サンプルのコレクターに陥り,調査研究は研究者側にまかせる傾向があるが,新しい時代を迎えて,飼育担当者も自らのフィールドにおける研究であることを自覚し,研究への関心を高め,自らのテーマを持って,水族館の社会的目的の一つである研究の推進に積極的に取り組むよう心掛けることを忘れてはならない.

図4 絶滅の危機にあるヨウスコウカワイルカ(写真:R.Liu,X.Wang and X.Zhang)

鯨類飼育の今後の展望
鯨類の飼育は,1938年にアメリカ・フロリダのマリンスタジオでイルカの飼育が成功してから約60年が経過した.そして今では鯨類を飼育する施設は世界中で見られるまでになり,今後も鯨類飼育に対する人気は衰えないであろう.しかし,1972年の国連人間環境会議以後,鯨は自然環境保護思想のシンボリック的動物として取り上げられてからは,鯨類の飼育を取り巻く環境は新たな時代を迎え,新たに取り組まなければならない課題も生じてきた.
保護と収集 鯨類の飼育は,従来は死亡個体の補充や新動物の飼育の場合は自然界からの導入に依存していた.しかし,1972年に開催された国連人間環境会議以後は,イルカ類を含めた鯨類に対する保護への関心が高まり,1973年にアメリカ・ワシントンにおいて作成された「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(通称ワシントン条約)の影響も受けて,国によって対応は異なるが,鯨類の全面的捕獲禁止や種類別禁止などの保護対策がとられはじめた.その結果,自然界からの鯨類は,全面的捕獲禁止の場合を除き,適正な法的手続きを踏まない限り今までのように望めば何処からでも入手できる状態ではなくなった.この状況は,鯨類の保護活動を活発に展開しているグループにとっての活動目標ともなり,自然界から鯨類を導入しようと試みている鯨類飼育施設との間で論争を巻き起こしている.日本においても最近の例として,1997年に追い込み漁で生け捕られた5頭のシャチを搬入した数館の鯨類飼育施設と動物の権利を守る活動を展開しているアニマルライツグループとの間におこった論争は記憶に新しい.
このような自然保護思想の発達の中で,自然界からの動物導入は,野生動物保護や種の保存の考え方とは逆行する行為であるため,極力避けるべきであるとする考えも,野生動物を飼育している施設から聞こえてきてくる.そして,この考えから,動物分類学の科単位や体型の類似した仲間からの代表種を展示し,自然界の生態系解説をおこなう手法が今後の展示形式として提案されている.しかし,社会教育の場の提供を役割とする野生動物飼育施設は,自然界の仕組みを可能な限り知らしめるために野生動物の収集と展示に努めることが使命であり,また飼育施設が野生動物の収集に努めたとしても収容能力の限界から,自然界の生態系のバランスを崩すまでの収集量は考えられないことなどから,野生動物を飼育している施設としては,自然保護や種の保存をスローガンに自然界からの動物導入にブレーキをかけるよりも,収集しにくい時代になったからこそ,自然界からの導入を怠らないように心掛けるべきであろう,この考えは鯨類の展示においてもあてはまり,Randall and Mead(1999)も「飼育海獣類のために最も真剣に考慮しなければならない課題は,種の保護よりもむしろ動物個体のための福祉について配慮することを根付かせることである」と収集よりも飼育環境整備の重要性を指摘している.
自給自足と飼育環境基準 しかし,鯨類の飼育においては,野生動物の保護や種の保存の立場からみると,自然界からの新動物導入を極力少なくすることが望ましいことはいうまでもない,そこで,飼育下での繁殖を促進させ自給自足体制を確立するために,健康個体の長期飼育は欠かせない条件であるが,自然界からの導入や飼育下における個体収容において,近親交配や交雑種の発生回避を考慮に入れた,繁殖能力を有し行動的に相性のあった雄雌の成獣と成熟間近の雌雄個体,および若齢個体による飼育下繁殖集団の形成を図り,自然繁殖の推進に結び付ける配慮を怠らないように心掛けたい,なお最近,凍結精子を使用した人工授精による鯨類の繁殖が,飼育下のシャチやバンドウイルカにおいて成功したニュースが流れたが,人工授精による鯨類の繁殖は,まだ殆ど手掛けられていないのが実態である.しかし,自然界からの飼育個体導入の減少対策や,飼育下における近親交配による種の劣化を防ぐためには,人工授精の果たす役割は大きいので,一日も早い人工授精技術の確立に大きな期待がよせられている.
1972年の国連人間環境会議が開催された同じ年にアメリカでは海洋哺乳類保護法が成立し,施設の規模などを含む飼育下鯨類の福祉に配慮する基準も作成された.その後,アメリカの基準を参考に各国でも定められはじめ,イギリスなどでは既存の鯨類の飼育施設がこの基準の影響を受けて1994年には皆無になったが,日本においてはまだこれらの基準は作られていない.しかし,1999年現在,全国に鯨類を飼育する施設が33施設あり442頭の鯨類を飼育している日本においては,国際的動向からみても飼育下鯨類の福祉について配慮することは避けられず,特に種類別運動能力に適合した飼育施設の適正な規模基準について早急に定めることが望まれている.
自然保護思想と新たな展示 19世紀初めから試みられた鯨類の飼育は,遊泳している姿を観覧してもらう展示からショースタイルの展示へと移行し,人々に鯨とは如何なる動物かを知らせしめただけではなく,鯨への親しみも深めさせた.そして,鯨類の展示形式として採用されているショースタイルによる行動展示は,社会教育の場を提供している鯨類の飼育施設としては,娯楽性や教育性からみても優れた展示であり効果的であるので,今後もなくなりはしないであろう.しかし,自然保護思想が発達してきた時代を受けて,ショースタイルの展示以外による鯨と人との触れ合いが,海においてホエールウオッチングやドルフィンスイムという形で始められた.この影響を受けて,鯨類飼育施設を訪れる人々の口から「見るだけではなく触れてみたい」との要望が聞こえるようになった.そこで,今では世界の鯨類飼育施設では,鯨類との触れ合いを施設内の水槽を使って「泳ぐ」「触る」など方法はさまざまであるがおこなわれていて(図5),この新たな人と鯨との触れ合い方法は高級リゾートのホテルのプールにまで広がっている.この新たな触れ合い展示は既存の飼育施設を使用しておこなわれているが,最近では,アメリカにおいて触れ合い展示のための本格的施設も完成し,スキンダイビングやスキューバ潜水によりイルカとの触れ合いを楽しむ人々が大勢訪れ人気を博している.したがって新しいこの触れ合い展示は,ますます自然保護思想が発達するこれからの時代には,ショースタイルの展示とならんで鯨類展示の一つとして増加していくことであろう.ただし,この触れ合い展示は,鯨類は素直で柔順であることを前提として成り立っている展示であるが,自然界のホエールウオッチングやドルフィンスイムでも認められているように,鯨による事故の発生もありうるので,実施する場合には,事故防止のための対策や事前に鯨類の種類による行動様式についての知識を知らしめておくなどの配慮を忘れてはならない.また,公開展示とはいささか異なるが,同じように鯨との触れ合いを求めるドルフィンセラピーにも人々の注目が集まっているが,多くの自閉症の子供たちを持つ親からは大きな期待を持ってその成果は見守られているものの,未だ医学的な裏付けが明らかになっていないのが実態であるので,効果については今後の医学的検証を待たなければならないであろう.

図5 人と鯨との新しい触れ合い展示

引用文献

大村秀雄(1979):動物園・水族館・イルカ,Inたのしい水族館江の島水族館25周年のあゆみ,181pp.江の島水族館,東京.
小川鼎三(1973):鯨の話,260pp.中央公論社,東京.
シュライパー,E.J.(細川 宏・神谷敏郎訳,1984):鯨,493pp.東京大学出版会,東京.
鈴木克美(1994):水族館への招待,241pp.丸善,東京.
ステニュイ,R.(西脇昌治・美子訳,1973):海の知恵者・イルカ,266pp.教養文庫,東京.
鳥羽山照夫(1997):動物園水族館と海の哺乳類,In海の哺乳類:283-293,宮崎信之・粕谷俊雄編,サイエンティスト社,東京.
中島将行,花島治作,山田二郎(1978):過去50年間に三津水族館において飼育された小型鯨類 動水誌,20(4):93-97.
日本動物園水族館協会:日本動物園水族館年報,平成11年度.
堀由紀子(1994):集客・運営から見た江の島水族館,江の島水族館資料No.12開館40周年記念,274pp.江の島水族館,東京.
松浦義雄(1943):海獣,298pp.天然社,東京.
Randall,R.R.and Mead,J.G.(1999):Marine Mammals in Captivity.In Conservation and Management of Marine Mammals:412-436,TwissJ.R.Jr.and Reeves,R.R.(eds.),Smithsonian Institution Press,Washington and London.
(2001年10月31日受理)